在るべき場所

9月の沖縄でちいさな秋をさがす旅リポート。

本島中部を中城村から読谷村へ。

最高気温33度のなか、芸術の秋にふさわしい

沖縄の焼きもの「やちむん」を愛でるドライブを続けています。

陶芸ファン憧れの地「やちむんの里」の一番奥、その黎明期を担い、

現在も沖縄陶芸界を牽引する巨匠、大嶺實清さんの工房を後に、

緑の小道をゆるゆると下っていきます。

おお・・・、赤瓦の窯が連なるおなじみ「北窯」の登り窯は

今日も勇壮な姿を見せています。もう何度通ったことでしょう。

が、今回は幸いまだ時間に余裕があります。ここでちょっと寄り道。

車は北窯と枝別れして上っていく小さな山道へ。

めざす「横田屋窯」がすぐに見えてきました。

緑深い森の中でひっそりと佇む様は「孤高」の二文字が似合います。

大嶺工房で修業したのち、2002年に独立した知花賓さんの工房です。

赤瓦の工房の軒先には

乾燥中のやちむんが細長い板の上にずらりと並べられ、

窯で焼かれる前の素肌を沖縄の強い秋の日差しにさらしています。

その傍らで白手拭を頭にまいて黙々と仕事を続ける初老の男性が知花さん、

「いらっしゃいませ。ゆっくり見ていって下さい」と

声をかけてくれた女性が奥さまでしょう。

軒先に大らかに並べられた器は色鮮やかな絵付けのやちむんが多いなか、

少し落ち着いた色あい、古風なおももちがします。

良く鍛錬された細い鋼のような印象の知花さんその人らしくて、

本当に、器は人。人は器。ここでも実感します。

亜熱帯の植物が生い茂るなか、あるがままに置かれるやちむんたち。

洗練されたギャラリーでは味わえない土の力を実感できます。

これこそが窯元めぐりの醍醐味。

頭上から容赦なく照りつける南国の日差し、重たげな葉ずれの音、

額から流れ落ちる汗さえ楽しみながら、器を眺めていた私の視線が釘付けに。

あれは・・・厨子甕。

緑濃い南国の植物のなかにずしんと置かれた圧倒的な存在感。

厨子甕(ジーシガーミ)。

琉球王朝時代から700年以上に渡って作られてきた沖縄の骨壷です。

風葬で埋葬された遺骨を納めた大切な「魂のうつわ」。

火葬になった現代では作る人もわずかになっていましたが、

その精神性と沖縄の美を後世に伝えようと復活プロジェクトが立ち上がり、

私も那覇のギャラリーでその展覧会を見たり、

壷屋やちむん通りのお店に並んでいるものを目にしたことがありますが、

このシチュエーションは・・・感動的です。

人が生まれ、還るべき土の上にずしんと置かれた厨子甕は、

在るべき場所に在りました。

厨子甕には小さな穴がわざと開けられています。

それは魂が自由に出入り、外に遊びにいけるようにしたもの。

生と死を大らかにゆるやかにとらえる沖縄の人々の優しさを感じます。

緑濃い森の奥にある工房の地べたにずしんと置かれた厨子甕、

もちろん実際にこの中に遺骨が入っているわけではありませんが

魂たちはそれこそ自由に空や海や森へ遊びに行けそうです。

大学時代は沖縄の文化を学び、古典的なものに惹かれるという知花さんの作品は

壷屋焼にも大きな影響を与えた朝鮮由来の白と薩摩由来の黒を基軸に、

大胆でいながらどこか繊細な表情が印象的。

土も釉薬も薪も沖縄産にこだわっているというのが自然にうなづけます。

ここで生まれ、ここで生き、ここで土に還る。

読谷村の森の奥にどっかり置かれた厨子甕は陶芸家の覚悟を代弁するかのようで

しばし時間を忘れて見つめていました。

初秋の炎天下、黙々と作陶に集中する夫と言葉少なに手伝う妻。

仕事の沈黙が心地よいある窯元の風景。

張りつめているのとは違う和みの含まれた静寂。

あえて言葉を交わさなくても伝わってくる何かがありました。

古典的なやちむんを大胆に繊細に緻密に表現する横田屋窯の器たち。

それはまるで孤高の野武士のような佇まいで

力強くも品格があります。

たとえば、彼と沖縄やちむんめぐりデート、

知花さんの作品を見て、

「俺、この器、好きだな」。

そう呟く男は、見どころあるかも、です(笑)。

(写真は)

やちむんの里の奥。

緑の森の葉陰にずしんと置かれた厨子甕。

在るべき場所に在る安定感。

魂たちに居心地を聞いてみたい。

住み心地、いいでしょ?