リーダーなき理想
最高気温が33度だろうと、
熱帯のようなスコールに見舞われようと
ドライブ途中のおやつのブルーシールアイスを
おかわりしたくなる暑さだろうと、
9月の沖縄でちいさな秋をさがす旅はおつなもの。
芸術の秋にふさわしい
沖縄の焼きもの「やちむん」を愛でるドライブ、
「わ」ナンバーのレンタカーは本島中部の中城村から読谷村へ。
「器は人。人は器」を実感する素敵な旅、
14の窯元が集まる焼きものファンの憧れの地
「やちむんの里」にやってきました。
山間に窯元が点在する里の一番奥にある大嶺工房では
沖縄陶芸界のカリスマ大嶺實清さんご本人からコーヒーをご馳走になり、
その大嶺工房から独立した知花賓さんの横田屋窯の庭では
思いがけず、自然に在るがままの厨子甕に遭遇。
やちむんの神様の采配に感謝しながら、
もう何度通い詰めたでしょうか、
おなじみの「北窯」へと山の小道を少し戻ります。
沖縄が本土復帰した72年に
後に人間国宝となる金城次郎が読谷村に移住。
続いて78年に先の大嶺實清、山田真萬ら4人の陶芸家が
共同で9連からなる登り釜を開き、「読谷山焼」の名で続き、
更に1992年に彼らの元で修業を積んだ4人の陶工によって、
「読谷山焼 北窯」が開窯しました。
やちむんの聖地に流れるのはこの「ゆいまーる」の精神です。
敬愛する師匠たちの北側に窯を開いたのは
松田米司・松田共司・輿那原正守・宮城正享の4人ですが、
この「北窯」にリーダーはいません。
みんなで意見を出しあい、協議して、
伝統工芸の拠点となるという目標に向かいつつ、
それぞれの作陶に励む日々。
沖縄に流れる相互扶助「ゆいまーる」の精神による
理想の共同体がここ読谷村に出来上がったのです。
3000坪の敷地に大きな長屋のような工房が2棟。
県内最大規模の勇壮な登り窯は
自然の山の斜面を利用して13もの房に分かれ、
火入れの際の炎の対流を想像すると
眺めているだけで頬が紅潮してきそうです。
今では20人以上の若者が土と向き合う大きな学校のような窯元。
昼どきにはタオルを顔にかけ、バナナの木陰でつかの間の昼寝、
午後の英気を養う若き陶工の姿も。
秋でもこの暑さ、寝られるときに寝なくちゃ、
体持たないもんね。
土も秞薬も技法も沖縄で生まれたものだけで作られる「北窯」は
伝統を受け継ぎ、次世代につなぐ大きな使命を
「共同体」というカタチで実現しています。
現在では全国的な知名度を持つ4人ですが、
「北窯」の売店に並ぶ器にも、
全国のセレクトショップでひっぱりだこの器にも、
彼らの銘を入れずに売られていて、
しかも手に入りやすい価格で作り続けられています。
「付加価値」とか「ブランド化」とは対極をなす姿勢。
そのわけは
「とにかくみんな貧乏だったから」。
窯を開いた当時、理想はあるがお金はない。
機械も原料もみんなでいいものをひとつ買った方がいい.
みんなでいい知恵を出し合えばいい。
みんなで汗をかけばいい。
それがカタチになったのがこの共同窯だったのです。
とにかくみんな貧乏だった共同窯が生みだす器は、
誰が作っても「北窯」のやちむんであり、
誰でも手に取りやすい価格にしたい。
読谷村に現れた理想の共同体は
やちむんの使い手、買い手にとっても理想なのだ。
その平たい思想に惹かれてやまず「北窯」に通い続ける私。
我が家の食器棚の最大与党は「北窯」のやちむんであります。
双子の兄、松田米司さんは赤い絵付けの名手、
弟、共司さんの作品は自由闊達な筆使いが素敵、
ペルシャブルーの器ならきっと輿那原さんで
ぽってり秞薬や化粧土が盛り上がる「イッチン」技法は
宮城さんの手によるもの、
4人の陶芸家の手業と感性は
銘を入れずとも器が雄弁に物語ります。
そして全国からこの読谷村まで
大勢のやちむんファンが引き寄せられるのです。
大きな倉庫みたいな「北窯」の売店には
今日も大きな扇風機が
ぐわんぐわんと派手な音を立てて回っています。
さあて、今回は何を連れて帰ろうか。
宮城さんのイッチンの小さなマカイもいいな。
このコバルトブルーの細長い長皿は輿那原さんかしら。
4人の感性が刺激しあって生みだされる
新しきやちむんの伝統と個性。
ここの器はいつ訪れても発見がある。
理想郷は止まらない。
常に進化し続けるものなのだ。
だから、また、通い続ける。
器の旅は、終わらない。
(写真は)
「北窯」の売店前にて。
めっちゃ、かわいいドット柄のボウル発見。
冬にはなかったな~。
誰のだ?誰のだ?誰が作ったんだ?
4人の陶芸家から推理する楽しみも。
共同窯の魅力は深いな~。

