その先へ
歩く
ただひたすら
一歩一歩足を進める
何かに導かれるように
その先へ
昨日はHBC「今日ドキッ!」にコメンテーターとして2度目の出演でした。
番組冒頭はもちろんW杯日本、ドイツを撃破!の話題、現地カタールに
夏休みで観戦ツアーに行っているHBCスタッフのリポートもあり、
宿舎や飲食事情などトラブル続きのようでしたが、
正直!う・ら・や・ま・しぃ~~~(笑)
いつか、ワールドカップ現地観戦、行きたいよぉ~~~。
そして本日25日はUHBの番組にゲスト出演をさせていただきます。
「のりゆきのトークDEお悩み解決!」です。
HBC時代の大先輩佐藤のりゆきさんの番組からのオファー、
ちょっと緊張しますが、とっても楽しみ、頑張ります。
では、2022秋の福岡旅リポート~長崎編その⑮。
晩秋の週末2泊3日の福岡旅、初日は博多の歴史、文化、グルメを満喫、
2日目は開業1か月の西九州新幹線で長崎日帰り弾丸ツアーを決行、
滞在時間は7時間、「出島」「大浦天主堂」「グラバー園」「長崎新地中華街」
「眼鏡橋」など長崎の見どころを路面電車で駆け回り、最後の目的地へ。
平和への願いと祈りの場「平和公園・浦上」エリアです。
昭和20年(1945年)8月9日午前11時2分、長崎の上空で原子爆弾が炸裂。
浦上地区は原爆投下の爆心地、壊滅的な被害を受けた場所です。
毎年平和祈念式典が行われる平和祈念公園のシンボル平和祈念像の前で、
ただただ、祈りました。世界から戦争がなくなりますように。
本当は「原爆落下中心地碑」や被爆後も被災者の救護や原始病の研究に
命を捧げた永井隆博士の記念館「如古堂」、原爆の爆風に耐えた山王神社の
大楠や二の鳥居などあの日の記憶を留める場所を訪れたかったのですが、残念、
本当に残念。時間が足りない。いつか再びこの地を訪れることを心に誓い、
残された時間でどうして訪れたかった場所へと向かいます。
それは「浦上天主堂」。
キリシタン弾圧の禁制を解かれ自由を得た浦上地区の信者達によって建設が計画、
資金難の苦労を乗り越え1914年に東洋一のロマネスク様式大聖堂が完成。
しかしその30年後の1945年、原爆により教会は少しの聖堂を残し壊滅、
正面双塔のフランス製アンジェラスの鐘も鐘楼もろとも崩れ落ちました。
原爆投下から14年後の1959年にコンクリートで再建されたのち、
1980年に当時の姿のままのレンガタイルで復元されたのが現在の建物。
浦上天主堂は度重なる苦難を乗り越えた浦上キリシタンたちの信仰の象徴、
被爆から再建された魂のよりどころ、どんなに時間がなくても行きたい。
ここからどのルートで行くべきか?
平和祈念公園でお掃除をしていた地元スタッフの方にお尋ねする。
「浦上天主堂へ行くにはどうしたらいいですか?」
お掃除の手を止めたスタッフが祈念像の向こうに見える緑の丘を指さし、
「あそこの階段を降りると教会が見えますから、
それを目指して歩いてください」と教えてくれました。
色々ルートはあるようですが、
「教会を目指して歩くのがいちばん近いと思いますよ」とのこと。
「ありがとうございます」お礼を言って、旅人は歩き出す。
青い空からは晩秋とは思えない夏のような日差しが降り注ぎ、
歩き回った疲労もたまってきたけれど、歩く。
広い平和祈念公園の北側の出口に向かうと、あった階段だ。
とことこ、とことこ静かな住宅地に続く階段を降りていくと、
いきなり視界が開け、緑の丘に抱かれた美しい教会が見えました。
・・・浦上天主堂だ・・・
この光景を見るために長崎に導かれたような気がした。
緑の丘と温かなレンガ色、創建当時のままの正面双塔からは
まだ距離があるのにアンジェラスの鐘の音が聞こえてくるようだ。
しばし、その場で動けくなる。それは暑さと疲労のせいだけはなかった。
地図もガイドブックもスマホも何もなくても
この場所から仰ぎ見るあの美しい教会を目指して歩けばいい。
夏のような日差しを浴びながら一歩また一歩歩みを進める。
不思議な温かな何かに導かれるように。
ただ、その先へ。
祈りの聖地。
浦上地区の午後。
アンジェラスの鐘の丘へ。
旅人は歩く。
(写真は)
幾度の受難を乗りこえた
「浦上天主堂」
長崎で最も大きな教会



