願いと祈り
青い空
白い雲
緑の丘
静かな街
願いと祈り
2022秋の福岡旅リポート~長崎編その⑰
晩秋の週末2泊3日の旅の初日は博多の歴史、文化、グルメを満喫、
2日目は開業1か月の西九州新幹線で長崎日帰り弾丸ツアーを決行、
滞在7時間で長崎の見どころを駆け巡りました。
路面電車で「出島」「大浦天主堂」「グラバー園」「長崎新地中華街」
「眼鏡橋」と廻り、残された時間はタクシーで最後の目的地、
「平和公園・浦上」エリアへ。恒久平和を願う平和祈念像に祈りを捧げ、
どうしても訪れたかった「浦上天主堂」へ。
原爆で壊滅した焼け跡から奇跡的に見つかった「被爆のマリア」。
実物は小聖堂に安置されていますが、大聖堂でレプリカ像を拝見できました。
黒く焦げた頬、青いガラスが失われた空洞の瞳。
かくも傷つきながら無言で戦争の悲惨さを訴える姿に圧倒されました。
「被爆マリア」のカードとロザリオを入手し、大聖堂を後にします。
原爆の直撃を受けた鐘楼の残骸や被爆した聖人の像、キリシタン弾圧の時代、
改宗を迫られた浦上の信徒が責め苦を受けた「拷問石」など
浦上天主堂には受難の歴史を物語る場所があるのですが、本当に残念。
帰りの新幹線の時間が迫ってきました。
いつか必ず再訪したい。強い思いを新たにしました。
残されたぎりぎりの時間を使っては最後の最後の訪問地を目指しましょう。
緑のアンジェララスの鐘を丘をくだり、静かな市街地を急ぎ足で歩き、
「長崎原爆資料館」へ向かいます。
時間はほとんど残されていませんが、
被爆の惨状を示す多くの資料を保存、展示するこの施設を素通りできない。
いつか再訪する時のためにも、わずかの時間でもみておきたい。
真夏のような日差しを浴びながら、歩く歩く歩く。
汗は流れ、喉は乾き、疲労も重なって、ぼぉ~っとする。
今から思えば、軽い熱中症一歩手前だったかもしれませんが、
ペットボトルの水を飲みながら資料館へと続く静かな住宅街を歩いていると、
マンションのレンガ壁にあった住所表記が目に入り、はっと足が止まりました。
「平和町」。へいわまち。
戦前はこのあたりは山里町という名前だったようですが、
原爆の惨禍から復興した戦後、平和を願ってつけられた地名だそうです。
若草町、緑が丘といった地名も同じ理由からつけられたらしい。
町の名前に込められた長崎、浦上の人々の思い。
青い住所表記の「平和」の文字を心に刻み込み、足を進めます。
ドーム型の「長崎原爆資料館」の外観が見えてきました。
時間がない、早く早く、転がるように建物の中に入る。
資料館の中に入った瞬間、焦る気持ちがすっと消えました。
展示入口に向かってスロープをらせん状に降りていく構造になっていて、
壁には西暦の数字が描かれ、時間が1945年に巻き戻されていくのです。
ゆっくりゆっくり時を遡り、1945年8月9日午前11時2分へ。
8月6日、広島の原爆投下に次いで標的となっていた小倉の天候が悪く、
8月9日2番目の標的だった長崎上空に核爆弾ファットマンが投下されました。
24万人が暮らしていた長崎の日常は3000~4000℃の熱線に焼かれたのです。
7万4千人の命が失われ、負傷者は7万5千人に及びました。
「11時2分」で止まったままの柱時計。
爆心地から700mのところで被爆した「女子学生の弁当箱」。
当時14歳だった堤郷子さんの遺品です。
炭化して真っ黒になった弁当箱の米飯。
あの朝お母さんが炊きたてのご飯を弁当箱に詰めてくれたのでしょう。
お昼のお弁当を楽しみにしていた14歳の女子学生は
母の心尽くしのそのお弁当を口にすることはなかったのです。
広島の原爆資料館で見た折免滋君の黒いお弁当箱を思い出しました。
抑止力だの、軍事バランスだの、どんな理屈を言われても、
やはり、核兵器は、この世界にあってはならないと思う。
人類はコントロールできない業火を生み出してしまったけれど、
その過ちから軌道修正する理性があるはずだと信じたい。
長崎。
いつかきっと、
もっと、ゆっくり、じっくり、再び訪ねたい。
平和への願いと祈りに満ちた美しいまち。
(写真は)
長崎原爆資料館へ向かう
静かな静かな住宅街
レンガの壁の住所表記は
「平和町」だった



