泣き虫ごぼう

ママ友の次は「墓友」、はどうやら本当らしい。

「墓友、うんうん、知ってる」「聞いたことある」

「あれでしょ?主人の墓に入りたくないとかって集まるんでしょ?」

街ゆく女性たちのリアクションの良いこと良いこと。

昨日のUHB「さあ!トークだよ」の特集は

「野宮ジャーナル2月号 墓はいらない?~墓友と集うオンナたち」でしたが、

企画を立てた野宮編集長(笑)も取材結果にびっくり。

「墓友」に対する女性たちの認知度はかなり高かった。

10年前から「墓友」と心の交流を続けているという女性や

すでに「樹木葬」を決めたという女性のインタビューなども登場。

「妻は夫の実家の墓に入るのが当然」と思っう男性たちに比べて

現実的で段取りが良く、いざという時には大胆な決断もいとわないのがオンナ。

「老後の不安」の次に立ちはだかる「死後の不安」に向けても

「墓友」という新しい縁を結ぶことで、心配事を解決しようとするのであります。

エンディングノートや新しい葬儀の形など

「死後」を語ることへのタブーが薄れてきたこともあって、

夫の墓に入るのが当然とされてきた女性たちも

自分の最後のマイホーム「お墓」を

主体的に選べる時代になったということかもしれません。

そして同時に少子高齢化社会によって「墓守」がいなくなるという現実が

「墓友」現象を後押ししている側面もあります。

「最後は自然に還りたい、そして子や孫の世代に負担をかけたくない」。

心と現実に横たわる「死後の不安」を解決してくれるひとつの手段として

たとえば樹木の下に眠る「樹木葬」という形だったりするようです。

かつて「家」が経済基盤であった時代ならば、

故郷の墓地に眠り、そこに住み続ける子孫が

自分たちを「ご先祖さま」として供養してくれましたが、

経済規模が広がり、故郷を離れて所帯を持つ核家族化が進行、

その最小家族単位さえ、さらに縮小して、単身世帯が最大多数となった現代、

先祖代々の墓を守る人が、いなくなりつつあるのです。

「家」単位から「個人」単位で、墓を考えざるを得ないのが現実。

先祖代々という「縦」の関係が維持してきた墓から

「墓友」などゆるやかな「横」でつながる新しい墓へ。

公家や武家など権力者のお墓は別にして、

実は庶民が墓を持つようになったのも明治以降のこととか。

意外に「お墓」の歴史は浅かったりするわけで、

そうかぁ~、時代に即した形に少しずつ変わっていくのかもなぁ~、

などと感慨に耽っていたら、

「ごんぼほる」。懐かしい言葉が朝のテレビから流れてきました。

今朝のめざましテレビ「最強方言自慢~北海道編②」は

高梨沙羅選手の故郷、上川町の地元応援団の会話を紹介。

沙羅ちゃんは小さな頃から「ごんぼもほらない」いい子だったと話していました。

「ごんぼほらない」、肯定形だと「ごんぼほる」とは

「駄々をこねない」「駄々をこねる」と言う意味の北海道弁。

ゴボウは掘るのに手間がかかることが転じた土の匂いがする温かい言葉。

実に懐かしい。

「範子は、ごんぼほりだなぁ」。

泣き虫の末っ子だった私に笑いながら、亡き父がよく言っていた。

「ほれほれ、ごんぼほるんでないの」。

もっと前に亡くなった祖父母もそう言って、涙をふき、鼻水もふいてくれ、

うずまきかりんとなど、おやつを握らせてくれたものだった。

札幌に暮らす私のまわりでは、今はめったに聞かなくなった「ごんぼほり」。

方言が消えるということは、その言葉の使い手が消えたということ。

懐かしい言葉とともに今は故郷のお墓の中に眠っている。

時代の流れとともにお墓の形は変わっていくだろうけど

「縦」がつないできたお墓の中には

消えてほしくない故郷の言葉もいっぱい眠っている。

心と現実にどう折り合いをつけて、お墓問題を解決していくか。

ふ~む、やはり、語りあう「墓友」は必要かもしれない。

あなたは、誰と、どんなお墓に入りたいですか。

(写真は)

お墓文化といえば沖縄。

一門が仲良く眠る門中墓に、一族が仲良く打ち揃って

賑やかにお墓参りを行います。

春の彼岸が深い雪に埋もれる北海道生まれには

何だか羨ましいすてきな光景に見えます。

那覇の市場に並ぶお線香の種類も豊富で華やか。

こんな鮮やかな立派なお線香も売っていた。

お線香の香りにのって、

温かなうちなんちゅう言葉が聞えてくるようだ。