桜と葡萄
春の佳き日を寿ぐ宴。
晴れやかなお祝いの円卓に飾られていたのは
桜と葡萄があしらわれたテーブルフラワーでした。
人生の喜びと充実を春と秋の自然美にこめた素敵なアレンジメント。
これからいくつも春夏秋冬を共に手を携えて過ごしていくお二人に
心からの祝福を。
昨日の土曜日、
桜待つ円山公園の目の前、瀟洒な一軒家レストランで開かれた
知人のウェディングパーティーに出席しました。
メインテーブルにもゲストのテーブルにも桜の花がふんだんに飾られ、
会場は一足早く春爛漫。
ここだけ一足も二足も早く桜前線が到着したかのよう。
そしてどの桜の花よりも満開だったのは新郎新婦の笑顔。
桜吹雪のごとく幸せがあふれだす景色にうっとりしました。
温かなスピーチが続くなか、
心に残ったのが新婦の恩師が贈った、詩人吉野弘の「祝婚歌」であります。
「二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないことがいい」と始まる詩。
披露宴で贈られることが多い有名な詩ですが、
リアルに新郎新婦を目の前にして聞いたのは初めてで、
言葉のひとつひとつが心に沁み入って沁み入って、
この一編の詩が世代を超えて愛されるワケがよ~くわかりました。
今年1月に87歳でこの世を去った作者吉野弘が47歳の時に
嫁ぐめいへのお祝いとして作ったのがこの「祝婚歌」。
当時結婚20年経った自身を振り返ったとき、
つまらない意地をはって妻につらくあたっていた自分への戒めと
妻への感謝の気持ちを綴ったものだったと
この詩を特集していたNHKの番組で知りました。
そうか。だからなんだ。
立派な詩人としてではなく、
フツーの夫としての素直な心情から生まれた言葉だから、
41年間、人々の心にもす~っと沁み込んで、世代を超えて愛されるんだ。
日常のささいなつまらないことで夫婦喧嘩しちゃった後、
「あ~あ、また言い過ぎちゃった・・・」
「あ~あ、また怒らせちゃった・・・」
「あ~あ、そんなつもりじゃなかったのに・・・」
誰もが陥る自己嫌悪、自分のダメさ加減にため息をついていたのは、
温もりのあるまなざしで日々の暮らしを綴り続けたあの詩人とて同じだったんだ。
詩人もまた、フツーの夫だった。
「正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気付いているほうがいい」
特にA型優等生気質の私の痛いところをつく一節です。
そういえば、子育てに明け暮れる日々のなか、
いうものように息子を厳しく叱る私に、かつて夫が言ったことがあったっけ。
「正しいことは、相手を追い詰めるよ」。
人として正しく育てなくては、
間違いは間違いなのだから正さなくては、
母親としてきちんと教えなくては。
三方から完全な論理で子供に「理」を迫れば
子供は重箱の隅に追いつめられて、逃げ場がなくなる。
それは相手が自ら考え、判断する力を奪いかねない。
「正しい」からこそ、その言葉は、相手を追い詰める。
親子も夫婦も友人同士も上司と部下も、きっと同じだ。
「正しいことを言うときは
少しひかえめにするといい」。
詩人の言葉は、人生の大切な処方箋。
春色のウェデングパーティーで贈られた美しい一編の詩を聞きながら、
テーブルの桜と葡萄をしみじみと眺める。
いたずら心でゲストの一人がその緑色の葡萄を一粒、ぱくりと口に入れた。
「あ、甘いよ」。
葡萄の実は甘い。
でもその甘い実の芯に隠れた種まで齧ると渋くなる。
そうだ、あんまり「立派」を相手にも自分にも求めない。
正しい理屈で相手の種まで齧ってしまうと
渋くて苦い後味しか残らない。
桜と葡萄。
ゆったりかまえて味わうくらいが
ちょうどいい。
近すぎたり、齧り過ぎない方が
きっといい。
(写真は)
美味しそうなテーブルフラワー。
桜と葡萄。
「葡萄は、果物屋さんで仕入れたのかしら、
花卉市場には出ないわよね?」
花屋経営の経験のあるゲストの感想がまた面白い。
素敵なパーティーのテーブルには
色々な人生経験の花も咲くのだ。

