スージグワの向こうに
スマホの警報音はなっていませんが、
今朝も秋になりきれない雨が降り出しました。
いつ、どこで、
今だかつて経験したことのない大雨に見舞われるかわかりません。
ひと雨ごとにゆっくり秋が来る・・・なんて構えていられない感じ。
不安定な9月の空の変化、油断はできませんね。
さて、初秋の沖縄旅リポート。
9月の沖縄で「ちいさな秋」を探す旅、
本島北部、名護のシンボル「ひんぷんガジュマル」に別れを告げて、
名護の街なかをもう少し、散策してみましょう。
実はもうひとつのお目当てがあるのです。
それは現存する赤瓦を有する木造建築としては最大級の建物「津嘉山酒造所」。
許田インターの名護さくらガイドのおじさんも
「あの建物は一見の価値ありですよ~、多分中も見せてくれるから
是非寄ってみてね~」」と勧めてくれました。
地図を見れば「ひんぷんガジュマル」からも近いようです。
念のため、車を止めた駐車場のおじさんに聞いてみると
「う~んとね~、一方通行の細い道が多いからね~、
次の名護十字路の次の交差点を右折して、ドコモの角を曲がったら、
赤瓦が見えるはずだよ」と親切に教えてくれました。
ナビも「所要時間3分」と軽く答えています。
よっしゃ、楽勝楽勝、軽くハンドル握るものの、
ところが~、見えない、ないよないよ、赤瓦~。
ドコモショップを過ぎた角を曲がっても、それらしき建物はなく、
目に入った小さな地域の公民館に駆けこんで泣きつく。
「あの~津嘉山酒造所ってこの近くですよね?」
公民館のお兄さんがにこにこ笑顔で答える。
「うん近く近く、歩いてすぐだよ~」
「あの、車なんですけど」
「ん~っと、え~っと、一方通行だらけだからね~、このあたり。
んじゃあ、この道まっすぐいって、大通り突き当ったら右折して、
次の信号で右折して、ドコモの角曲がったら、あるよ」。
あれ?あれれ?さっきのルートではありませんか。
ドコモの角って、あの細い細い小道のこと?
あの道、車、入れるんだ・・・。
本当だ。
名護の大通りからひとつ入ったスージグワ(筋道)に面し、
うっかり見過ごしてしまいそうな場所に確かに赤瓦の酒造所がありました。
地元の人でも「まだここでお酒作っていたの?」と
その存在も忘れてしまった人も多い、沖縄で唯一戦前の姿を残す泡盛工場。
それが、ようやくたどり着いた目の前の「津嘉山酒造所」であります。
昭和レトロな門灯を掲げた古びたコンクリート塀には
確かにこれまた年季の入った「津嘉山酒造所」の看板が見えますが、
そのまん前には軽トラックがでんと止まっていて、入り口をふさいでいる。
ホントに中の見学なんてできるの・・・?
恐る恐る、軽トラをすり抜けて門の中に足を踏み入れる。
おおお・・・これは・・・。
何と威風堂々、立派な赤瓦の建物でしょうか。
渡名喜島や備瀬のフクギ並木などで見られる
可愛らしい赤瓦の古民家とはまた趣の違う大型の木造建築であります。
しかし、建物全体に足場が組まれていて、足元には工事用の資材が置かれ、
あきらかに「工事中」の様相。
薄暗い中を覗くと、2人のお兄さんが作業中、そ~っと声をかけてみる。
「あの~、中を拝見させていただくことはできるでしょうか・・・?」
「ああ~、大丈夫・・・っと思うけど、
一応、ここの人に聞いてみて、奥にいるから」。
またまた、そ~っと鉄パイプや木材をまたぎながら奥の建物へ。
プレハブの事務所らしき建物に初老のおじさんが一人。
「あの~、建物を拝見させていただくことはできますか?
札幌から来たんですけど(無意識に遠方を強調する)」。
「あ、あ~、い~ですけど~、
お、お~い、ほら、見学の人、見せてやって」。
おじさんは向こうにいた手拭を頭にかぶったお兄さんを手招きし、
突然の訪問者をいきなりパスする。
紺色の前かけをきりりと締めたにこやかなそのお兄さんは
いかにも泡盛作りの若手職人さんといった風情。
「はいはい、ようこそ、ようこそ。
本当、ラッキーな時にいらっしゃいましたよ。
せっかくだから、この酒造所のこと、
ざっと20分か30分、ご説明しましょうか」とのありがたすぎるお言葉。
「いえいえ、お仕事中でしょうから10分で結構ですよ」と
遠慮しながらもご厚意に甘えることにしたのです。
これが、昭和の初めから戦火をくぐりぬけて
名護のスージグワで泡盛を作り続けてきた現存する歴史の証人、
「津嘉山酒造所」との偶然にして幸福な出会いの始まりでした。
なぜ、建物が工事中なのか。
なぜ、お兄さんは「本当にラッキーな時に来た」と言ったのか。
なぜ、戦火に焼かれた名護の地でこの赤瓦だけが残ったのか。
10分のはずが1時間を超えた貸切見学の間に、
3人だけの小さな酒造所を切り盛りする一人
笑顔のお兄さん、秋山さんの池上彰並みの知的トークによって
次々と明らかになっていくのでありました。
(ちなみに、さっきのおじさんは、工場長さんでありました)
昭和3年。
まさにこの場所で、
国頭郡の華となるよう、
「国華(こっか))」を名付けられた泡盛作りが始まりました。
伝統の酒作りと沖縄の歴史を見続けきた赤瓦屋敷のお話は
明日へと続きます。
旅は出会い。
これだから、やめられない。
(写真は)
この看板の真横には
軽トラックがでんと入り口をふさぎ、見学不可モードが漂う。
普通は、あきらめるよね。
でも、私の沖縄探究心は、フツーではない。
叩けよ。ほら、門は開かれた。

