とっておきブルー

台風19号が沖縄へ接近中です。

朝のテレビ中継では既に那覇市内も強い雨、風に見舞われていました。

18号に続いて日本列島を狙い撃ちにするような予想進路、

台風に厳重警戒の三連休となりそうですね。

慶良間諸島の海、今頃どんな色を見せているのでしょうか。

大きな被害がありませんよう、日本列島の無事を祈るばかりです。

さて、そんな台風に遭遇することもなく、絶好のクルーズ日和に恵まれて

初秋の沖縄旅の5日目は

那覇の泊港から渡嘉敷島まで日帰りバカンスにお出かけしました。

今年3月に国立公園に指定され、

さらに人気急上昇の慶良間諸島の中で、一番大きな島です。

那覇市から西へ約32キロ、高速艇でわずか35分で到着。

港で予約したレンタカーを借りて、

帰りの船が出る14時までの1dayバカンスを楽しみましょう。

まずは島の北へ向かって、可愛い白の軽自動車を走らせます。

島の中央から北側には200m級の山が連なり、

その最高峰赤間岳の山頂からの景色が抜群とか。

急な山道を登っていくと「国立青少年交流の家」が見えてきました。

この広い敷地内に目指す展望台があります。

おお、立派な施設ですね~。研修棟、食堂棟などがゆったり配置され、

整備されたグラウンドたテニスコートも。

高速艇で出会った学生さんたちなどが利用するんでしょうね。

私もここで渡嘉敷合宿した~い!大学生に戻りた~い!(笑)。

ぐんぐんと坂道をのぼっていった先に、ありましたありました。

西展望台です。

船は満員だったのに、だ~れもいません。

みんな、真っ先にビーチに行ったのかな~。

ま、いいや、車を降りて、展望台に立つ。

うっっっわぁ~~~!!!

ビューティフル~~~!!!

慶良間諸島が一望です。

一点の曇りもな純粋なブルーの海に

お隣の座間味島をはじめ、阿嘉島、慶留間島、久場島、屋嘉比島・・・

慶良間諸島がぜ~んぶ手にとるようにくっきりと見えます。

更に西側に遠くに見える島影は久米島、粟国島でしょうか。

となると懐かしの渡名喜島も見えるはず・・・見えたような、気がした(笑)。

これが日本で一番新しい国立公園、慶良間諸島であります。

えっへん!(笑)

ケラマブルーの海に点在する島々はまるで緑の宝石。

かつてこれらの島々は、陸続きだった時代もあるとか。

長い時間の中で慶良間の美しいネックレスが

ひとつひとつの宝石に別れていったわけで・・・。

その大きな宝石のひとつの上に、今、立っているんだな~。

地球の歴史が作り上げた傑作のひとつ、心ゆくまで観賞しました。

この西展望台から枝分かれした坂道を少し走れば、東展望台。

ここからは沖縄本島方面が一望できます。

慶良間諸島の島々に比べると、本島ってでっかいな~と再確認。

この青い海をさきほど35分で渡ってきたのでありますね。

山頂の西と東の展望台で慶良間諸島の絶景に感動し、来た道を戻る途中、

日帰りで遊びに来る観光客はほとんど立ち寄ることのない場所があります。

沖縄戦の集団自決跡地です。

展望台から下りてほどなく、フェンスに囲まれたその場所がありました。

頑丈な扉はハブ侵入防止のためのもの。

鉄製の錠がかけられていますが、鍵はかかっていません。

閉め忘れのないようにきちんと帰りに施錠しておきましょう。

がちゃん。扉を開けて中に入ると小さな広場のような空間に慰霊碑が、

その向こうには亜熱帯の繁みの中、海へと続く一本の小道がありました。

太平洋戦争中、この慰霊碑の裏側の谷間で

315名の島民が悲惨な死を遂げたのです。

「親類縁故が車座になり、一ケの手榴弾に2、30人が集まった瞬間、

不気味な破裂音は谷間にこだまし、清水の流れは寸時にして血の流れと化し、

老若男女315名の尊い命が失われ、悲惨な死を遂げた」。

石碑にはそう刻まれていました。

米軍の侵攻に対して島の北部に逃げ込んだ島民が

ここで集団自決に追い込まれた歴史を物語る静かな証人です。

碑に向かい、手を合わせ、頭を垂れ、慰霊の祈りを捧げます。

時折聞こえるのは南国の野鳥のさえずりだけ。

静寂が支配する人影のない小さな広場の向こう。

あの亜熱帯の緑の茂みをどれほど歩けばその谷間があるのか。

自分の足で確かめたい気持ちに駆られましたが、

昼なお薄暗い小道はほとんど人が歩いた形跡はありません。

「ハブ侵入防止」と書かれた扉の文字が頭をかすめます。

足を踏み入れるのは断念、ただ小道の前に佇み、

この美しい島に刻まれた悲惨な歴史を今一度胸に刻みました。

頑丈な扉をしっかりと元通りに閉めて、山道を下る途中、

島の北東部にひっそりと佇む塔がありました。

「白玉の塔」。

太平洋戦争中、島内で犠牲になった島民や日本兵が祀られています。

島民が集団自決をしたとされる3月28日には

毎年慰霊祭が行われているそうです。

悲しすぎるほど眩しい9月の日差しのもと、

日傘を置き、帽子を脱ぎ、じっと祈るばかりでした。

集団自決跡地の慰霊碑のそばには

1945年4月2日ロサンゼルスタイムス紙に記事が記載されています。

最初に現場に到着した哨戒隊に同行した陸軍撮影兵は

「いままで目にしたものの中で最も悲惨」と表現したとありました。

美しい島が背負った最大級に悲惨な過去を語るいくつかの戦跡碑、

とんぼ帰りの日程ではなかなか行けないかもしれませんが、

数日滞在できるなら、訪れてみてほしい場所です。

とっておきのブルーの海には

多くの悲惨な涙も溶けこんでいるのですね。

「一点の曇りもない」なんて、大間違いだった。

この青い色を、忘れない。

(写真は)

ケラマブルーは雑誌やテレビなどでたくさん見られるだろうけど、

この緑の小道をあまりに目にすることは少ないかもしれません。

渡嘉敷島集団自決跡地の海岸へと続く道。

慰霊の気持ちを込めて。