「無関心」
青い空
緑の芝生
花咲く庭
白い家
壁の外の「無関心」
真っ青に晴れ渡る初夏の空。
まわりの緑が眩しいほどに目に沁みます。
すがすがしく爽やかな6月最初の土曜日の朝、
最高に気持ちよいのに、昨日の映画の重みが心に残る。
青い空、立派な白い家、緑の庭には花が咲き乱れ、
プールではしゃく子どもたちを大人はグラス片手に笑顔で見守る。
絵に描いたような幸福な家族の日常を淡々とカメラは追う。
だが、この幸福の「壁」の向こうに何があるかを観客は知っている。
映画「関心領域」を観てきました。
1945年、アウシュビッツ収容所の「隣」で幸せに暮らす家族を描いた作品は
カンヌ映画祭グランプリ、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞など
世界の映画賞を席巻、アカデミー賞国際長編映画賞・音響賞を受賞しています。
マーティン・エイミスの同名小説をイギリスの鬼才と謳われる、
ジョナサン・グレーザー監督が映画化。スクリーンに映し出されるのは、
どこにでもあるような牧歌的なある家族の幸せな日常です。
しかし、「壁」の向こうの建物からあがる煙、夜中に赤々と燃える炎、
時折聞こえる銃声、かすかな叫び声、汽車の音・・・。
家族の何気ない会話、仕草、視線・・・。
画面の「気配」はある歴史的事実を観客に静かに悟らせるのでした。
「関心領域(The Zone of Interest)」とは第2次世界大戦中、
ナチス親衛隊がアウシュビッツ強制収容所を取り囲む40平方kmの地域を
表現するために使った言葉で、映画が描きだすのは
初代所長のルドルフ・ヘス一家の日常。
物語の視点は壁一枚隔てたヘスの立派な白い邸宅の内部にあてられます。
豊かな調度品、豊富な食糧、子どもたちは白い清潔な服に身を包み、
妻は夫が持ち帰っただろうたくさんのブラウスやワンピースを使用人に分け与え、
自分は豪華な毛皮のコートを鏡の前で試着して悦に入る。
その服の持ち主は誰だったのか。映画を観る私たちは知っている。
彼らが日常会話の中で「荷」と呼んでいた人たちの所有物だ。
毛皮のポケットに入っていた使いかけの口紅も
ヘスの妻は何の抵抗もなく自分の唇に塗る。
「関心領域」の中の絶望的なまでの「無関心」。
人類史上最悪のホロコーストを行ったのは、悪魔でも化け物でもなく、
壁の向こうに無関心なまま幸福な日常を送る「普通」の人間なのだ。
夫は組織で出世するため「荷」をいかに効率よく「処理」するかに注力し、
妻の関心は幸福な家族の日常だけ、それを守るために夫の尻を叩く。
あまりの人間くささに、凡庸さに、絶望してしまう。
だが、自分の幸福を守るために無意識に「無関心」になってしまうこと、
われわれ人間には絶対ないと言いきれるだろうか。
権力に盲目的に追従し組織の中に埋没し、命ある人間を「荷」と呼べることが
人間にはできてしまうと、歴史が教えている。
映画は終始引いた構図で1945年の関心領域の無関心を追います。
壁の向こうの二つの煙、それは焼却炉と「荷」を運んでくる汽車の煙。
花壇に混ぜる「灰」。幸福な日常の底知れぬ怖ろしさに身じろぎする。
「無関心」ほどの恐怖はない。
(写真は)
6月の青空と緑
「関心領域」の中
唯一希望の光と思える映像もあった
無関心ではなかった人間を暗示したのか
人間を信じられた


