有子自遠方来

そうかぁ、こういう気持だったのかぁ。

「有朋自遠方来 不亦楽乎」

=「朋有り 遠方より来たる 亦た楽しからずや」。

この年になってようやく「論語」の一説が身に沁みました。

学生時代の古典の時間、漢文の時は特に安眠タイムでしたが、

遠方の大学に通う息子が昨夜、帰省、

久しぶりに人数の多い食卓を囲みながら、しみじみ実感。

「子有り 遠方より来たる 亦た楽しからずや」。

ここ数日 典型的な親馬鹿症候群を呈していた我が夫婦。

「やっぱり空港まで迎えに行った方がいいかな?

いや冬の道路は時間が読めないからJR札幌駅の方がいいかな?」と

夫は毎日毎日、同じ問いかけを繰り返し、

一方、妻は年末年始のメニュー構成と買い出しリストで頭がいっぱい。

「とりあえず帰ってきた晩は鍋メインでいいよね?ねっ?ねっ?」。

しつこく問いかけるが、お互いにまったく相手の話は聞いていない(笑)

ただただ、いそいそ、いそいそ、いそいそ感が甚だしい。

このいそいそ感こそ、親馬鹿症候群の主症状であります。

結局、お天気も良かったので空港まで車で迎えに行った夫によれば、

年末の新千歳空港の到着ロビーはこのいそいそ感がマックス200%、

可愛い孫を出迎えるじいじ、ばあばの熱気が半端なかったらしい。

「孫有り 遠方より来たる 超!楽しからずや」、ですね。

いやあ~、よく来たよく来た、

お年玉にほら遅いクリスマスプレゼントもつけちゃうよ~。

孫の笑顔にじいじ、ばあばのお財布のひもは緩む一方、

そりゃあ、税制調査会あたりが

「もう、どんどん非課税枠広げちゃうから

もう、どんどん緩めちゃって下さいね~」と目をつけるわけだ。

朋であれ、息子であれ、孫であれ、

ふだんなかなか会えない大切な人が

遠方から訪ねてくることでわき上がる深い喜びは

孔子の時代から変わらない人間の素直な感情。

非課税枠なんて概念のない時代から、ずっと存在し続けてきた温かな気持ち。

お金のあるなしなんて、関係ないんだ。

今朝の北海道新聞に載っていたあるコラムが印象的でした。

おじさん世代のエッセイストである著者が

年の暮れに田舎で一人暮らしをする母の家に帰った折のこと。

留守中だったこたつの上に置かれた日めくりのメモ帳には

息子が「夕刻来る予定」と書かれ、

さらに買い物リストがこまごまと書かれていたという内容でした。

決して楽ではない余裕のない老後の暮らしであっても

「子有り 遠方より来たる」ことは老いた母にとって

人生の深い最上の喜びであるのですね。

我が家の食卓の横にも

鶏肉、ごぼう、かまぼこ、ワイン、チーズ、バゲット・・・

裏紙を切ったお手製メモ紙に買い出しリストがこまごま記されています。

朝9時過ぎても一向に起きてこない、遠方帰りの息子は

多分このメモなど読むこともないし、メモの存在すら気づかないだろう。

いつか、遠方から来る誰かをいそいそ心待ちにする日が来たら、

朝寝坊の息子も「論語」の意味を理解するのかもしれません。

にしても、いつまで寝てるんだぁ~、そろそろ起きなさぁ~い!

(写真は)

遠方から届いた大好きな南国のお菓子。

那覇の新垣菓子店の「琉球伝統菓子」。

琉球と中国と日本の文化が融合した

歴史的な国際交流菓子であります。

「テンペスト」の時代が現代に読み上げる。

「菓子有り 遠方より来たる 超嬉しからずや」