桜の木の下で

今年も桜色の季節がやってきました。

我が家の前の桜並木はほぼ満開。

ご近所の人も、お散歩に訪れた人も、偶然通りかかった人も

しばし、足を止めて、桜色の風景に見入っています。

桜の木の下で、それぞれの想いを噛みしめながら。

幼かった息子を抱っこして眺めた桜並木。

ピンク色の花は歩き始めた彼をそっと見守ってくれたものです。

あれから20年余りの月日が流れ、

若々しい印象だった桜並木も年々背丈を伸ばし、

桜の花もどんどん上の方に咲くようになり、

今では首をうんと折って見上げるほど大きく成長しました。

そうかぁ、子供が成長するって、こういうことかもしれない。

子供が無事に成長し、それぞれの人生の花を咲かせる頃には

年老いた親はずっと小さく縮んでいて、

その美しい花盛りを間近に見ることはなかなかできないのだ。

ただ堂々たる幹の上の花を、遠い故郷から、そっと見つめ、

若々しい人生の開花を静かに喜ぶものなのだろう。

花を育てた人は、咲いた花から一番遠くにいるものなのかもしれない。

そういえば、結婚式の会場、

いちばん遠くにあるのは新郎新婦の両親の席、です。

慣例とはいえ、最も晴れ姿を見たい御両親の席が遠いことに

いつもなんとなく割り切れなさを感じていましたが、

そうかぁ・・・育てた花の開花は遠くからそっと見守るもの・・・なのね。

美しく咲いた桜に、何を想う。

桜並木に集う人の数だけ、心のドラマがあるのかもしれません。

桜の木の下でじ~っと花を見上げるご老人。

使い慣れないスマホで懸命に写真を撮るご婦人。

二歩三歩離れた場所からそっと眺めるおじさま。

それぞれの桜色の景色がある。

「門前に児(ちご)待つ母や山桜」

正岡子規の桜の句は花の華やかさよりも

花に寄せる人々の心情に寄りそったものが多いのですが、

この句の情景も切ないほどの母への思慕が詰まっています。

春の遊びに夢中になり、いつまでも戻らぬ幼子を

門前で待ちわびる母の姿をやさしく見つめる山桜・・・か。

そう、華麗なソメイヨシノではなくて、山桜なんだよね~。

我が家の前の桜並木もエゾヤマザクラが中心。

その控えめな桜色を眺めていると、

満開なのに、なぜだか、ちょっと淋しくなる。

桜の木の下で、人の心は、不思議に、揺れる。

さて・・・と、

明日のお花見弁当のおかずでも考えようかなっと。

桜が咲いたよ。

(写真は)

我が家のマンションの門前(笑)のエゾヤマザクラ。

控えめな桜色が北国らしい。

珍しく、息子に桜の写真をLINEで送った。

今は亡きおじいちゃんに抱っこされて眺めた桜だよ。

君は忘れても、桜は、覚えてくれているさ。

さあ、人生の花を咲かせたまえ~。

勉強、頑張れ~(笑)。