説明できない
科学で説明できないけど、
「いる」と感じてしまう存在。
それを視覚化してくれたゲゲゲの先生、
今頃、天国で妖怪たちと戯れていることでしょう。
さよなら、水木しげるさん。
先月末のお別れ会には8000人の人々が参加。
亡くなって2カ月余り、多くの人々がゲゲゲ愛を語っています。
今朝の朝刊でも民俗学者の先生が水木しげるさんは
妖怪を現代に復活させた功労者と称えていました。
身近な人を亡くすと風で扉が開いただけでも
故人が訪ねてきた、と思ってしまう。
そんな自分自身で制御できない不思議な心の動き、
科学で説明できない「いる」と感じてしまう存在。
それを漫画で示し、大衆文化の中に復活させてくれたと。
ろうそくの炎がふっと強くなったり、
誰もいない部屋に何かの気配を感じたり、
日常の中で「異界」を感じる瞬間ってありますよね。
沖縄の古い泡盛工場を訪ねたときも感じたなぁ。
黒麹がいっぱい棲みつく赤瓦のお屋敷、
亜熱帯の緑濃い木々が鬱蒼と茂るお庭を眺めていると、
ふと可愛い「何か」がこっちを見ているような気がした。
「そう、あの黒檀の木あたりにいるらしいんですよね~」。
案内してくれた工場の人が事もなげに呟きました。
「夜中に廊下を走り回ったりするらしいですよ」。
「へっ?何が?」「キジムナー」。
沖縄では超メジャーな真っ赤な髪をした子供の妖怪です。
この赤瓦の屋敷で気持ちよく酔いつぶれたおじぃたちもよく、
「昨夜はキジムナーがうるさくて眠れんかった~」とぼやいていたとか。
遠い北海道からの旅人にもその気配が不思議と感じられたのでした。
あのお庭には今もきっと可愛いキジムナーがいる。
ね?水木センセ。
お別れの会で一番印象的だったのが
ドラマにもなったほど強い夫婦愛で結ばれた夫人の言葉。
「赤貧もなにもかもすべていい思い出です」。
なんて素敵な愛の言葉でしょうか。
ところがほとんどのテレビの字幕テロップが
「赤貧」を「まずしさも」とか「貧乏も」とかに換えていたのです。
そうかぁ「赤貧」、意味わからない人が多いってことか。
「せきひん」と耳で聞いて「赤貧」と理解する人は
恐らく少なかろうという現場判断なのでしょうが、
何だか、ちょっと残念な気もします。
最愛の連れ合いを偲んで、
「貧乏」でも「極貧」でもなく「赤貧」と口にした夫人の思いが
妙にわかりやすく一般化されちゃったみたいで。
「赤貧洗うがごとし」。
非常に貧しく、洗い流したように何もないさま。
ただの「貧乏」よりもずっと突き抜けていて、
いっそある種の清々しささえ感じる言葉です。
若き日の水木しげると過ごした日々を回想した夫人が
「赤貧」という二文字に込めたさまざまな深い思いが
静かに伝わってくる場面でありました。
できれば原文ママでテロップ入れてほしかったなぁ。
人は説明できない何かを
それでも一生懸命表現しようとする。
漫画だったり、言葉だったり。
それを何でもわかりやすく翻訳しちゃうのも
考えものじゃないかなぁと時々思う。
世の中の語彙もそれこそますますビンボーになっちゃうようで。
これっていわゆる老婆心?(笑)
(写真は)
節分スイーツ「鬼ちゃん」の連れ合い
かわいい「お多福ちゃん」上和生。
え~っとお多福も
ある意味、妖怪?(笑)

