今度ね
あ、春が近い。
道路わきの雪がぐんぐん減り、
真っ白だった遠くの山景色も
白の配分が少しずつ少なくなってきた。
日一日と光の春は力強さを増している。
「今度、買おうね」。
先日、ご近所スーパーで買い物をしていたときのこと、
可愛い呟きがきこえてました。
3、4歳くらいの女の子がお菓子のワゴンの前で立ち止まり、
先を行くお母さんに一生懸命話しかけていたのです。
小さな手がそっと指差していたのは「鈴カステラ」の袋。
鈴の形をしてお砂糖をまぶされた、あの懐かしいお菓子。
「え?」と戻ってきたお母さんは
娘が一生懸命に指差す鈴カステラを見て、思わずにっこり。
通りがかりにこの風景に遭遇した私も、思わずほっこり。
この後、女の子が鈴カステラを買ってもらったのか、
「次に買おうね」と繰越(笑)になったのか、わかりませんが、
女の子の「今度、買おうね」といういじらしい言葉が
いつまでも心に残りました。
「コレ買って買って!」と駄々をこねるでもなく、
「ママ、コレ欲しい~」と直球でおねだりするでもなく、
「今度、買おうね」。
一瞬で半世紀以上も時計が後戻りしてしまいました。
そう、昭和のおかっぱ頭の少女だったアタシもそうだった。
欲しいモノがあっても、なぜだかストレートにはねだれない子供だった。
昭和の高度成長期、鉄の街室蘭も活気に満ちていて、
商店街には買い物客があふれ、それは賑やかだった。
母について「鉄の町市場」に買い物に行った帰り道、
幼稚園くらいだった私は
おもちゃ屋さんのショーウィンドーの前でぴたりと立ち止まる。
ガラス越しに見えたのは憧れの着せ替え人形。
綺麗なドレスをまとった栗色の髪のお人形から目が離せなかった。
傍らの母がじっっと立ち止まったままの私に聞いた。
「あのお人形、欲しいの?」
とっさに私は答えた。
「ううん、見てるだけ」。
なぜだか「うん、欲しい!」って言えなかった。いや言わなかった。
だって誕生日でもクリスマスでもないし、
何より、ウチは子どもにキラキラしたお人形を
無造作に買い与えるタイプの家ではないことを
小さいなりに自覚していたのだ。
絵本や本は何でも買ってくれたけど、
ウチはキラキラしたおもちゃの優先順位はそう高くない。
子どもって、大人が思うよりも、意外にリアリストなのだ。
親の価値観や判断基準みたいなものを本能的にわかっていたりする。
昭和のおもちゃ屋さん前での「ううん、見てるだけ」も、
ワゴンの鈴カステラを指差し「今度、買おうね」も、
子どもなりの親への「配慮」であり、「気遣い」であり、
同時にちいさな希望なのだ。
「今度ね」。
子どもはいつでも未来を信じてる。
今は無理でも、今度は。いつかは。
親の価値観と子どもなりに折り合いをつけながら
一人前の人間として育っていくのだ。
だから多少の「我慢」は子供には大切な経験。
「見てるだけ」「今度ね」はいじらしく素敵な思い出になる。
今度、鈴カステラ買ってもらえるといいね。
今度ね。
きっと。
(写真は)
昭和の子供時代には
「トリュフ」なんて夢には知らなかった(笑)。
明治の板チョコがご馳走だったな~。
森永のハイクラウンとか。
思い出のチョコを語ると時代がバレる(笑)。

