菓子パン数個

週明け月曜日、

今日のおやつは迷わない。

だって4月4日は「あんぱんの日」。

さて、こしあんにするか、つぶあんにするか、

いささか難題だ(笑)。

明治8年(1875年)、今から141年前の4月4日、

現在の銀座木村屋総本店が明治天皇のお花見の宴席に

お茶菓子としてあんぱんを献上しました。

春の宴にちなみ、奈良の吉野山から取り寄せた

八重桜の塩漬けを埋め込んだあんぱんを

明治天皇は大変気に入り、ことに皇后陛下のお口にあい、

「引き続き納めるように」という両陛下のお言葉を戴いたと

木村屋総本店のHPにも紹介されています。

そして明治生まれのあんぱんは国民的パンになっていきます。

あんぱん好きの著名人は数多けれど、

病床日記に絵まで描いたほどあんぱんを愛したのが

そう、明治の甘党代表、正岡子規。

晩年、病に冒されながら記した「仰臥満録」。

亡くなる前年の明治34年9月から毎日のように、

体調、食事、来客などが事細かく書かれ、

俳画や水彩画なども収められています。

この「仰臥満録」が始まってすぐの明治34年9月8日。

子規は4個のパンを絵に描いています。

菓子パンが4個、縦に並んだ絵にはそれぞれ、

「黒キハ紫蘇」「乾イテモロシ」「アン入」「柔カ也」とのキャプションが。

さらに「菓子パン数個トアルトキハ多ク此数種ノパンヲ一ツ宛クフ也」と

丁寧な説明書きまで加えています。

「俺が菓子パン数個って書いたら、大体この4個のどれかだからさ」。

4つのパンの絵からは子規の肉声が聞こえてくるような気がします。

日常の暮らし、日々食べた物の写真をアップし、一言加える。

現代のSNS、インスタにも通じる読者へのサービス精神。

「仰臥満録」は病床にあった子規からの明治のインスタとも言えます。

血肉を削るようにして綴った魂のインスタ。

苦しい病床にあって凄まじいまで食欲を見せた子規。

この日も朝にお粥三椀、佃煮、梅干、ココア入り牛乳に菓子パン数個、

昼もお粥三椀、鰹の刺身、ふじ豆、佃煮、梅干、梨一つ、

そして間食にココア入り牛乳にまたもや菓子パン数個。

さらに夕食にはお粥二椀、焼鰯18尾、酢の物、キャベツを完食。

凄い。凄すぎる食欲、いや食欲なんて概念を超えた何かだ。

食べることが、生きること。咀嚼は呼吸。

食べて、詠んで、描く。

子規が愛した「菓子パン数個」。

松山のパン屋さんが「子規の愛した菓子パン」を復刻、

空港の売店などでも人気のようですが、

気になるのは「アン入」と描かれていたあんぱんの中身。

果たしてこしあんだったのか、つぶあんだったのか。

繊細で丁寧な俳画を残した子規ですが、

残念ながら、「アン入」の断面図までは描かれていません。

ちなみに松山のパン屋さんは

つぶあん、こしあん両方復刻したようです。だよね~。

本当はどっちだったのかなぁ。

子規ファンの私的には「こしあん」説を支持したい。

大好きだった羽二重団子も、下宿先だった向島の長命寺桜餅も、

うふふ、口どけの良いこしあんなのであります。

だから、きっと、あんぱんもこしあん派だった、と思いたい。

「春惜しむ 一日画をかき 詩を作る」

子規が没年の春に残した一句です。

4月4日はあんぱんの日。

明治の俳人を惜しみながら、

こしあんぱんでも買い求めよう。

食べることは、生きること。だからね。

(写真は)

販売個数350万個突破。

もりもとの「千歳うまれのたまごまんじゅう」。

突破記念で30円引きだった。

断面も豊かな卵色。

卵の黄色も春の色、だよね。