責任は?

余計な誇張も脚色も必要ない。

事実が積み重なった2時間9分。

世紀のスクープを生み出したのは

スーパーマンでもバットマンでもない。

人間力あふれる記者たちだった。

アカデミー賞作品賞&脚本賞を獲得した映画、

「スポットライト~世紀のスクープ」を観てきました。

ボストン・グローブ紙の記者たちが粘り強い調査報道によって

「教会」という巨大権力の大罪を暴いた事実に基づいた作品。

派手なCGもVFXもない硬派な作品がスペクタクルな大作を抑えて

作品賞に選ばれたことに驚きの声もありましたが、

映画を観れば、誰もが納得、今観るべき1本だと思います。

2001年、アメリカ東部の新聞「ボストン・グローブ」の一面に

全米を震撼させる記事が掲載されました。

地元ボストンの数十人もの神父が児童への性的虐待を繰り返し、

カトリック教会が組織ぐるみで隠ぺいしてきたという衝撃的な事実。

1000人以上が被害を受けたにも関わらず、

なぜ長年に渡って黙殺され続けてきたのか。

「間違っていることは間違っている」「正しいことは正しい」。

タブーに立ち向かった調査報道チームを支えたのは

記者魂と信念と人間力だった。

「教会」という巨大権力の罪を暴く困難さは

正直、日本に住む私が想像する以上のものがあると思う。

確固たる社会的巨大組織であると同時に

記者自身や家族も代々、洗礼を受け、教会に通ったりしている。

信仰という己の精神的な土台をつかさどる存在に

調査報道のメスを入れるのだから、生半可な覚悟ではできない。

でも、間違っていることは間違っている。

我々が報道しなくて誰が伝える。

映画は徹底的に事実に即して進みます。

登場人物同士の恋愛などありがちな脚色は一切ありません。

ひたすら事実の断片を掘り起こし、二重の裏どりをし、

地道に全容解明につなげていく姿をカメラは追い続けます。

しかし立ちはだかる巨大権力を前に取材活動は困難を極め、

当然、リスクを恐れる声も聞こえてきます。

印象的な台詞のやりとりがありました。

「これを記事にした場合、責任はだれが取る?」

「では記事にしない場合の責任は?」

ドンと、胸を突かれたような衝撃を受けました。

圧力に負けて、黙ってしまったら、

一生心に傷を負った過去の被害者はどうなる?

あまつさえ未来の被害者を生んでしまうかもしれない。

許されざる事実を知っているのに、その「責任は?」。

ジャーナリズムの原点を象徴する台詞。

これもまた事実なのだから、説得力が違う。

同時に感銘を受けたのは彼らの冷静さ。

特定の人物のスキャンダルを暴くことが目的じゃない。

誰かをバッシングして一過性で終わりでは駄目なんだ。

組織、システムそのものを炙りださなければ、

「再発は防げない」。

派手なスクープ記事でセンセーションを巻き起こしておしまい、

そんな無責任さとは一線を画す「覚悟」に感動しました。

世紀のスクープをものにした記者たちには

社会的な正義感、行動力、直観力、分析力、冷静さ、粘りなどなど

それぞれ、様々な特性が備わっていましたが、

共通していたのは「想像力」であります。

調査チームのリーダーが関係者にこう問いかけます。

「君は少年時代、どんなスポーツをしていた?」「バスケット」

「僕は陸上だ。虐待を行っていた神父の一人はホッケー部の監督だった。

被害者は僕であり、君だったかもしれないんだ」。

取材者にとって最も欠くべきことのできない要素が

この「想像力」ではないでしょうか。

犯罪や災害に見舞われた被害者たちの心、その軌跡を「想像」する力。

それは僕であり、私であり、あなただったかもしれない。

他人事じゃないんだ。

その「想像力」が困難に立ち向かう勇気につながるのでしょう。

天空の彼方からヒーローが突然現れて、

ばったばったと敵をなぎ倒す映画とは全く違います。

誰もが悩み、怖れ、勇気を振り絞って、チームで闘い続けます。

人間と、その良心と、プロ魂を信じたくなる。

心の底から、勇気が出てきます。

「スポットライト」、今観るべき1本です。

(写真は)

梅が笑った。

早朝のつぼみが

昼過ぎにはほころんでいました。

赤ちゃんの笑顔みたいだ。

見つけた自分も思わず微笑んだ。