エキゾチック・ナーファ

街は浮島から始まった。

万物が到来する琉球の玄関口。

新しいものが上陸し、古くからあるものと交差し、

いくつもの時代の大波小波をくぐりぬけてきた。

その名はナーファ、那覇。

秋の三連休、最終日。

夜中の雨は上る朝日に気押されたかのようにやみ、

澄んだ青空に山の稜線が次第にくっきりしてきました。

今日は素敵なおでかけ日和となりそうです。

我が家は敬老の日イブの昨日、実家の母をよんでランチパーティー。

社交ダンスに合唱、英語レッスンと日々多忙を極める86歳、

娘がアポを取るのも大変(笑)なアクティブ・シニア、

「敬老」のワードも似合いませんが、さらにパワーアップを祈願して、

特製ステーキ・甘辛ソースをメインに賑やかな秋ランチ。

86にして超多忙、人生のロールモデルとしてリスペクト、ですな。

さて、天高く澄みきった秋の青空を眺めながら、

夏の沖縄旅2016リポート、旅の後半・本島編の最終章を続けます。

明日は沖縄を離れる最終日は、とことん那覇をぶらり散歩。

朝一番に再開発が始まった「農連市場」の今を目撃した後、

うちなんちゅー率99%の太平通り商店街で昭和レトロな雰囲気を満喫、

浮島通りを渡り、観光客も増えてくる市場本通りへ。

いつものお店で「カチュー(沖縄の鰹節)」の大容量パックもゲット、

牧志公設市場2階にある「琉球甘味処 琉宮」でひと休み、

黒糖きなこぜんざいとドラゴンフルーツジュースに癒されました。

さあ、一息いれたところで街歩き再開。

昼近い公設市場界隈は人出がぐんと増えてきました。

てんぷら屋さんに店先には揚げたてのてんぷらが山盛り、

さしみ屋さんのお兄さんは水揚げされたばかりの島魚を

見事な包丁さばきで下ろしています。

旅行鞄みたいに巨大な新物黒糖の塊をカツンカツンと

大きなとんかちで「カチ割り」中なのは甘味処のお姉さん。

そのリズムと小さな三線屋さんのご主人が奏でる三線の調べが

絶妙にシンクロする那覇の市場には

生きる力がぎゅっと濃縮されたエネルギーが満ちています。

市場(マチグヮー)のもうひとつの魅力は

無数に張りめぐらされた小さな路地、筋道(スージグヮー)。

きっちりした都市計画で作られた新しい街にはない、

人情味溢れる無計画さが醸し出す混沌さがたまらない。

公設市場近くにある一本のスージグヮーもお気に入りのひとつ。

軽自動車も入れない狭い路地にはコーヒースタンドの椅子が張り出し、

亜熱帯の緑が心地よい影を小さなテーブルに落としています。

古い中華料理屋や沖縄そば屋、雑貨屋などがひしめきあう路地裏は

まもなく天空に達する真夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、

その光と影のコントラストがなんとも旅情をそそる。

今にも「深夜特急」当時の沢木耕太郎が近くの格安ドミトリーから

寝ぼけまなこでふらりと現れそうな錯覚にさえとらわれます。

そのエキゾチックな佇まいは那覇というより「ナーファ」と呼びたくなる。

ここはかつて浮島から始まった世界的港湾都市「ナーファ」。

現在の那覇市はおよそ6000年くらい前から

浅い海に小島が浮かぶ多島海だったそうです。

12~14世紀までは当時の中心地首里や浦添に近い牧港や泊が

主要な港として使われていましたが、海外交易が盛んになるにつれ、

大きな船が停泊しやすい那覇港は次第に重要な港として整備され、

15世紀には対岸につながる「長虹堤(ちょこうてい)」という

海中道路も完成し、琉球国の玄関口となっていったのでした。

「しょり おわる てだこが うきしまは げらへて 

たうなばん よりやう なはどまり」。

古来から歌い継がれてきた古謡集「おもろそうし」にも

「首里の王様が浮島を整備したので、唐や南蛮からの船が

那覇の港に寄り集まってくる」と当時の様子が謡われています。

中継貿易が最も盛んだった時代、今の福建省、アユタヤ、マラッカ、

パレンバンなど東南アジア各国、中国、朝鮮など

まさにアジアの懸け橋として多くの交易ルートを完成、

ナーファは国際交易都市として多いに栄えていったのです。

新しいモノや人、空気、息吹、みんな那覇の港から上陸してきた。

500年前から国際的な港湾都市だったナーファ、

現在の感覚でいうと特別行政区にあたる地域として近世以降もますます発展、

明治12年の琉球処分・廃藩置県によって政府は県庁を那覇へ設置、

那覇の人口が首里を上回るようになり、名実ともに那覇の時代へ。

理髪店、公衆電話、路面電車、百貨店、

モダンなものはみんな那覇から上陸したのです。

1944年(昭和19年)の10・10空襲で那覇は全域の99%が焼失、

壊滅的なダメージを受け、翌年には米軍に制圧され、

軍港とされた那覇市内は市民の立ち入りが禁止されましたが、

昭和20年11月に生活物資製造のため、壺屋・牧志への入居が許可、

戦後・那覇が再スタート、やがて奇跡の1マイル「国際通り」が完成し、

現在の華やかな那覇へとつながっていったのでした。

浮島から国際港湾都市へ、戦争で焼き尽され、ゼロから復興へ。

ナーファは、ナーファンチューは、たくましかった。

そして2016年夏の那覇。農連市場やナイクブ古墳群などなど、

古の那覇を物語る場所はどんどんと姿を変えようとしています。

それは外に開かれた港からいつも新しいものを受け入れ、

時にドラスティックに街の姿を変えてきた港町の宿命なのかもしれません。

旅人を惑わすほどのスピードで変化していく一方で、

市場のスージグヮーにはおもろそうしの時代と変わらない

人情味溢れるエキゾチックな風景が残っている。

今までも、今も、これからも

ずっと目が離せない日本最南端の大都会。

ナーファ。

心から愛する港町だ。

(写真は)

まさにエキゾチック・ナーファ。

観光スポットでもある市場界隈。

ふと路地裏、筋道に目を転じれば

フォトジェニックな風景に出会えます。

ね?若き沢木耕太郎がジーンズにサンダル履きで

ふらり・・・と歩いていそうでしょ?