冷蔵庫とクリスマス

スマホ全盛時代になろうとも

トランプ氏が大統領になろうとも

時代がどんなに変化しようとも

ひっそり、しっかり、踏ん張っている。

懐かしのバタークリーム。

クリスマスケーキといえばこれだった、よね。

宝石のようなクリスマスケーキが並ぶ、

お菓子屋さんのカタログの片隅に

今年もひっそり頑張ってくれている。

昭和の香り漂うバタークリームのクリスマスケーキ。

生クリームやガナッシュやムースの華やかさにくらべると

確かに地味だけど、ケーキと言えば、コレだったもんね。

懐かしのバタークリーム。

朝刊の生活欄にクリスマスケーキの記事が載っていましたが、

不二家によると日本でクリスマスケーキが急速に普及したのは

昭和20年代半ば頃。統制下に置かれていた小麦粉や砂糖が

買いやすくなったことが大きな要因のようです。

ちょうど朝ドラ「べっぴんさん」の時代ですね。

戦後の厳しい暮しの中でもようやく子供服やケーキなどに

心の豊かさを託し、人々が前を向き始めた頃。

クリスマスケーキは希望の象徴だったのかもしれません。

希望のケーキを彩ったのが

泡立てた卵白にバター、砂糖などで作ったバタークリーム。

戦後日本のクリスマスの風景はバタークリームなしでは語れません。

その風景が徐々に変化していったのが高度成長期。

昭和40年代からお店や家庭に冷蔵庫が普及し、

フレッシュな生クリームがやがて定番になっていくのです。

そうだ。クリスマスの風景は冷蔵庫によって変わっていったのだ。

昭和生まれのおかっぱ頭の思い出のクリスマスも

その歴史とともにドラマティックに変化していった。

幼少期はもちろんバタークリーム。

白いクリームの年もあれば、チョコクリームの年もあったけど、

ろうそくでできたサンタさんを食べられると勘違い、思いきりかぶりつき、

姉に大笑いされたことは強烈に覚えている。

口の中に広がったろうそくの奇妙な味は忘れない(笑)。

どんだけ、食い意地がはってたんだ、アタシ。

あの頃、我が家にはまだ冷蔵庫はなかった。

でも日持ちするバタークリームだったから、

クリスマスの次の朝、次の次の朝まで、残りのケーキも大事に取っておけた。

やがてある年のクリスマス、牛乳屋さんが不思議な円筒形の箱を配達してきた。

「ねえ、ねえ、なに?なに?その箱、何が入ってるの?」、騒ぐ子供たち。

発砲スチロールでできた帽子ケースのような大きな箱を受け取った母は

「うふふ、クリスマスまで秘密」と何だかちょっと得意そうに嬉しそうだった。

あの年もまだ冷蔵庫はなかった。

母が嬉しそうに抱えていた大きな秘密は、

クリスマスの夜には、溶けていた。

大きな円筒形の箱に入っていたのは

アイスクリームのクリスマスケーキだったのだ。

当時としては最先端、超トレンドなケーキだったに違いない。

母としては、冬の北海道、寒い奥の座敷の二重窓の間に置いておけば、

夜まで持つかと思ったのだろうが、形は保っていたものの、

アイスはかなり溶けていた。

でも、甘く柔らかくはかない味は記憶の底に残っている。

あの頃、私は、子供だった。

溶けてしまったアイスの味は覚えているのに、

その時の母がどんな顔をしていたのか、覚えていない。

冷蔵庫もなかったのに、家計だって楽ではなかったろうに、無理して頑張って、

バタークリームよりずっと高価なアイスケーキを注文したのに、

クリスマスの夜にははかなく溶けかかっていた。

子供たちを驚かせようとしたのに、アイスは溶けていた。

親になった今なら、その時の母の気持ちが、痛いほどわかる。

ごめんねって、泣き笑いの顔で、言ってたのかもしれない。

子供だった私は、覚えていない。

その後、アイスクリームのクリスマスケーキが登場することはなかった。

我が家にも冷蔵庫がやってきて、カラーテレビがやってきて、

昭和の暮しはどんどん物が豊かになっていって、

クリスマスケーキも苺の載った生クリームへと変わっていった。

時は過ぎ、チキンに生ハム、チーズにキャビアにフルーツにシャンパン。

クリスマスのご馳走は大きな冷蔵庫なしではあり得ない時代になった。

ケーキもチキンも自分で作れる大人になったけど、

たった一回で姿を消したアイスクリームケーキのことは忘れられない。

クリームは溶けても

幸せの記憶は決して溶けない。

あとひと月もすればクリスマス。

屋根の数だけ幸せが訪れますように。

老いた母のために今年もケーキを作ろう。

(写真は)

那覇のお菓子屋さんの店先。

昔懐かしいバタークリームケーキがいつも現役。

暑い沖縄でも、冷蔵庫がなくても、日持ちがする。

見るたびに懐かしく、ちょっと切なくなる。

そして無性に食べたくなる。