ボタンとエビフライ
そうだった。
エビフライが大好きだったんだ。
カロリーなんて言葉も知らなかった頃、
ずっと、アタシは、エビフライが好きだった。
あのボタン屋さん帰りのエビフライが。
いつもの金曜ごはんの後、
まったり眺めていたテレビ画面に巨大エビフライが登場。
都内でも珍しいエビフライ専門店の人気メニューらしい。
「美味しそう」、お腹いっぱいなのに、なぜか反応してしまった。
それは食欲というよりも記憶の底に眠っていた美味しい思い出。
そうだった、アタシ、エビフライが好きだったんだ。
今更のように、思い出した。
カロリーだ、油だ、揚げものだ、なんぞ、
全く気にしなくて良かった頃、とびきりの大好物だったんだ。
今はめったに家のキッチンで作ることもなくなったけど、
子供の頃から、トンカツよりも天ぷらよりもエビフライが好きだった。
サクっと上がった軽い衣、ぷりっとした食感の直後に
じゅわぁ~っと口の中に溢れだす海老の旨みと甘み・・・。
なくなるのを惜しむように、大事に大事に食べたものだった。
母が作ってくれた家のエビフライもごちそうだったけど、
記憶のアルバムに今も残っているのは
昭和のボタン屋さんとセットになった特別なエビフライ。
幼い頃、家で洋裁の仕事をしていた母に連れられて、
バスに乗って出かけたのは室蘭の街中にあったボタン屋さん。
小さなお店に入ると、そこはまるで夢の国。
美しくて小さなモノがいっぱいの魔法の国
壁には大小さまざま、色とりどりのボタンが入った小箱が
天井までびっしりとそれは整然と並んでいました。
かと思えば、美しいフリルやリボンの束や、
お姫様のドレスみたいなシフォンやサテンの裏地など、
夢見る女の子をうっとりさせる材料に溢れていたのです。
そして、もうひとつ、魅了されたのが、
不思議な「ガッチャンコ」。
母が「これで6個お願いします」と洋裁の端切れを渡すと、
ボタン屋さんは、何やら頑丈な鉄製の機械に
チョキチョキ正方形に切った端切れをセット、
大きな取っ手を一気に下すと「ガッチャン!」。
重い音がした次の瞬間、あら不思議、さっきの端切れが
それは見事な丸いボタンに変身していたのです。
魔法の・・・ガッチャンコだ。
小さなアタシは、その機械のことを密かにそう呼んでいた。
「きれいでしょ?くるみボタンって言うんだよ」。
手のひらに載せた端切れが変身した丸いボタンを見せて、
母は小さな私にそう教えてくれたものです。
洋服と同じ布地で作る「くるみボタン」。
お誂え服や手作り洋服ならではの温かみのある小物材料ですね。
くるみボタンかぁ、、なんか木の実のクルミみたいで美味しそうって
思ったこともよく覚えている。
「どうもお世話さまでした」「ありがとうございました~」
くるみボタンが入った紙袋をハンドバッグに仕舞い、
小さなボタン屋さんで買い物を済ませた後、
いつもいつもではなかったけど、たまに連れて行ってくれたのが
坂道の途中の2階にあった「パーラー・コサイ」。
洋食も出す純喫茶とレストランを兼ねたようなお店、
パフェもあるし、ポークチャップも、ハヤシライスもある。
そんなパーラー、昭和の商店街にはありましたよねぇ。
ここの「エビフライ」が大好きだったんだ。
銀色のお皿に小ぶりなエビフライがいっぱい載っていて、
タルタルソースと繊細な千切りキャベツにパセリが添えられ、
ガラスの小瓶のウスターソースもトンとテーブルに置かれたものだ。
三角に折った紙ナプキンの上に鎮座するナイフとフォークをしずしずととり、
ちょっとおすましして食べた特別なエビフライ。
「美味しい?」と聞いた母の声は覚えている。なのに、
向かいの母がエビフライを食べていたかどうかまったく覚えていない。
目の前のごちそうに夢中だったせいだと思うけど、
当時の母の年齢をはるかに超えた今となっては
誕生日でも何でもないふだんの日の外食、
財布を預かる若い主婦はもしかすると子供にだけ食べさせて、
自分はコーヒーだけだったのかもしれないと
今更になって、想像したりする。
懐かしい昭和の風景。ボタンとエビフライ。
あの不思議な「ガッチャンコ」は、後に調べてみると
くるみボタンのハンドプレス機、また打ち具というらしいと判明。
パーラー・コサイの事も今も元気な母に聞いてみればいいのに、
なんだか聞きそびれたまま、エビフライが好物だったことすら忘れていた。
でも、くるみボタンとエビフライに込められた親の温もりは、
きっと、ずっと、忘れない。
(写真は)
時間がなくて今年の節分は
レジそばで慌てて買った恵方巻きロールで(笑)。
そうそう、今はくるみボタンのキットは
100円ショップでも買えるらしい。
冷凍エビフライもお手頃だしね。
ほんと、昭和は、遠くなりにけり。

