1マイルの歴史
湿地帯の畑の中。
寂しい未舗装の一本道が
戦後沖縄の復興の象徴となった。
希望と込めて人々は呼んだ。
「奇跡の1マイル」と。
夏の沖縄旅2017・最終盤7日目は朝からお買い物三昧。
首里の老舗で伝統の琉球菓子を、丸玉製菓工場では
焼きたてのタンナファクルーを無事に入手、
開南「仏壇通り」で沖縄の祈りの心に触れ、
公設市場で伝統保存食「スーチカー」を購入、
半世紀以上の歴史を誇るコーヒースタンドで
名物ドリンク「冷やしレモン」で癒されました。
市場のアーケードを抜け、
午後の日差しが眩しい国際通りをぶらり散歩。
琉球最古の老舗「角萬漆器」6代目が立ち上げた新ブランド、
「Nui Mun」の青い漆のネックレスを自分土産にゲット。
早速、身に着けてウキウキ気分でお店を出ました。
お土産屋さん、アイスクリーム屋さん、泡盛専門店などなど
さまざまお店が賑やかに軒を連ねる通りを歩くうち、
ある一軒のお店の前で思わず立ち止まってしまいました。
観光客向けのカラフルな店構えが立ち並ぶなか、
歴史を感じさせるオールドスタイルな建物が。
よく磨かれた外壁にレトロな字体でこう記されています。
「大湾洋服店 SINCE 1927」。
国際通りの歴史を見つめ続けてきた老舗テーラーであります。
畑の中の一本道が「奇跡の1マイル」と呼ばれ、
沖縄最大のメインストリートとなるまでを
ず~っとこの場所で商いを続けながら見守ってきた、
数少ないお店なのです。
国際通りが誕生したのは第二次大戦後。
激しい沖縄戦によって那覇の街は焼き尽くされましたが、
湿地帯が広がる畑の中の未舗装の一本道沿いに
テントを張り商いを始める商売人がぽつぽつあらわれ、
自然発生的に闇市が広がり賑わい始めたこの界隈に、
米軍政府と琉球政府が戦後の人々に娯楽を提供しようと
「アーニーパイル国際劇場」を建設、
国際通りの名前の由来となりました。
混乱を極めた戦後にあって
いち早く奇跡的な復興を遂げたことから、
県庁北口交差点から安里三叉路にかけての約1.6キロの通りは
「奇跡の1マイル」と呼ばれるようになったのです。
はじめは暮らしに密着した生活用品や食料品を商う店で賑わい、
やがて観光客が増えてくるとお土産店などが増えていき、
大型ショッピングセンターや百貨店が進出、
時代の変化とともに国際通りの表情も変わってきました。
3年前には国際通りのシンボルだった沖縄三越が閉店。
国際通りの発展を担った百貨店が57年の歴史に幕を下ろした背景には
地元客の足がめっきり落ちていたことがあるようです。
「昔みたいに地元の人が遊びに来る感覚はもうない」
「なじみのお店がなくなった」
三越閉店を伝える地元新聞にはそんな声が載っていました。
1927年創業の大湾洋服店は
仮縫いから仕上げまでベテラン職人が
オーダースーツを仕立てるテーラーでありながら、
気楽な雰囲気でかりゆしウェアやアロハシャツ
カジュアルシャツなども揃える紳士用品店。
「この通りにはお洒落なもの、憧れるようなもの、
あらゆるものが揃っていました。沖縄の人たちみんなで
作り上げた『夢のある場所』だったのではないでしょうか」。
2代目のご主人がかつての国際通りについて地元紙に
こんなことを語っていました。
戦後の復興を支えた「奇跡の1マイル」。
時代の変化とともに9割が観光客向けの店に変わった今、
離れていった地元の人々をどう呼び戻すのかが
国際通り商店街の大きな課題となっているようです。
観光客にも地元の人にも魅力あるまち作りをめざして
官民一体の取り組みが始まっていると聞きます。
未来へのびる奇跡の1マイル。
この道の新たな歴史を
旅人も見守っていきたい。
誰にとっても夢が膨らむ場所をめざして
1マイルの歴史は続いていく。
(写真は)
奇跡の1マイル。
国際通りの歴史を静かに見つめ続ける
老舗テーラー「大湾洋服店」。
店の前でじっと佇んでいるとふと、どこからか
戦後の復興の槌音が
聞こえるような気がした。

