農連からのうれんへ
ガープのほとりで
商い続けて半世紀。
戦後の厳しさにも幾多の台風にも
耐えてきた昭和な市場に
新しい時代がやってくる。
夏の沖縄旅2017・最終盤7日目は朝からお買い物三昧。
首里や那覇の老舗では伝統の琉球菓子を購入、
沖縄伝統の保存食「スーチーカー」や「カチュー」も入手、
開南「仏壇通り」では沖縄の祈りの心に触れ、
琉球漆器の新ブランド「Nui Mun」では青い漆のネックレスもゲット。
沖縄の大好きを求めて那覇の街をぐるぐるぐるぐるクルージング、
今は国際通りから市場のアーケードを奥へ奥へ。
超ローカルでディープな太平通り商店街を歩いています。
「花商」手搾りのジーマミー豆腐も無事手に入れて、
にんじんシリシリ器から火の神様のお道具まで揃う
沖縄らしい日用品店「高良商事」の賑やかな店先を眺め、
新鮮な島野菜や果物が並ぶ名物青果店を過ぎると
商店街の一番端っこにある上原パーラー。
今日も地元のお客さんが揚げたての天ぷらやお惣菜、
お弁当を買い求めるいつもの風景が見られました。
しかし・・・アーケードの向こうには
見慣れた、いつもの、懐かしい風景はもうなかった。
戦後64年間、雨にも風にも台風にも耐えてきた
あの愛すべきトタン屋根の昭和レトロな市場は消えていた。
ぽっかりあいた真っ青な空をつくように
巨大なクレーン車が再開発の槌音を響かせている。
「農連市場」の歴史が変わるんだ。
終戦後、闇市が建ち始めたガープ川のほとりに
1953年琉球農連が米国民政府管理の土地を借り
開設したのが「農連市場」の始まり。競り市ではなく、
売り手と買い手が値段を決める相対売りの市場には
近隣の個人農家が新鮮な作物を持ち込み商いを開始。
スーパーもコンビニもなかった時代、農連市場は
農家の家計と那覇の飲食店や家庭の食卓を支えてきたのです。
戦後の時代を生き抜いてきたつぎはぎだらけの木造の建物。
雨漏りがする天井はダンボールやベニヤ板で修理され、
ゴザや簡素な木の台に所狭し自慢の島野菜が並ぶ横では
黙々と一本一本もやしのひげ根を摘み取るおばぁがいたり。
戦後の復興期からそのまま時間が止まっているかのような
人情味あふれる「日常」がかつての農連市場にはあったのだ。
でも、時は流れる。
老朽化が進む市場を中心に再開発計画が刻々と進行中、
築60余年のバラック造りの建物は既に解体され、
ガープ川北側には駐車場付き3階建ての
立派な新「農連市場」の建物が建設されていました。
ガーン、ガーン、コンコンコンコン、ドッドッドッ。
おばぁたちの売り声の代わりに旅人の耳に響くのは
最新式の建設機械や重機のたてる重厚な音。
沖縄の戦後の風景が新しい時代へ進む音。
旅人が訪ねた夏には外観もすっかり出来上がっていた建物は
今月17日に完成式典が開かれる予定だそうです。
新しい市場に移転するお店は11日以降に移り始め、
今月前には現市場でもすべての店舗の営業が終了。
これを機に商売をたたむおばぁたちも少なくないようです。
夜も明けない暗いうちから賑わっていた
バラック建ての昭和レトロな風景はもう見られない。
知っていたけれど、淋しい。
なくなるって覚悟はしていたけれど、淋しい。
新市場の建物を含む3.1ヘクタールの再開発事業によって
2020年までに周辺の道路は拡張、高層マンション等ができる計画で、
戦後に活況を誇った神里原のきらびやかで怪しげなネオンも
今は昔の風景になりつつあるようです。
旅人はただ感傷的になるけれど、これも時代の流れなんだね。
新しい市場の名前は「のうれんプラザ」。
地上3階建てで約120店舗が入居、
ステーキ店、花屋にカフェなども新しい顔も増えますが、
農連市場の移転店舗に相対売り場もあるそうです。
売り手と買い手の交流がある相対売りのスピリットは
「農連」から「のうれん」へ、
名前が変わってもちゃんと引き継がれていく。
商い半世紀。
感傷を乗り越えて
市場は新しい時代へと
コーナーを曲がる。
(写真は)
変わりゆく農連市場。
再開発の風景を
じっと見つめる
屋台の島バナナ。


