光りさす原っぱ

学校も行けない

友だちにも会えない

野球もサッカーもできない、

けど、ボクたちには

光りさす原っぱがある。

コロナ関連記事で埋め尽くされた朝刊、経済面にはこんな見出しが。

「巣ごもり需要 売れ筋に変化」

春は家電商品が売れる季節ですが、今年はいつもの年とは違うようで、

バランスボールに電気調理鍋、ゲーム関連商品が軒並み人気とか。

おウチに入る時間が増えていますんからねぇ。

で、特に突出した売れ行きを示しているのが「テレワークコーナー」。

在宅勤務が広がる中、ウェブカメラやヘッドセットは品切れ、在庫切れが続出。

入荷してもすぐに売り切れる状態だそうです。

テレワークを推進するなら、機器の充実もセットでお願いしたい、ですね。

でも、テレワーク機器をちゃんと使いこなせるかどうか・・・となると

う~ん・・・ちょっと・・・いや、かなり不安という人は、

年代によっては多分、きっと、アタシだけではない、と思いたい(笑)。

なんて、デジタル難民思考に陥りながら経済面を眺めていると、

ふと、ある映画の台詞が脳裏に蘇ってきた。

「ブロガーを憎み、ツイッターを嫌い、フェイスブックだってやっていない、

パパは存在していないのも同じよ」

アカデミー賞で作品賞、監督賞など4部門を受賞した

映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の中で

主人公である父親に10代の娘が言い放つキツーい台詞、です。

かつてはスーパーヒーロー映画で世界的な人気を博しながらも

現在は失意の底にいる父親が再起をかけてもがく姿が

10代の彼女にとっては哀れで滑稽にしか映らない。

「現実を見てよ。パパ、芸術のためなんかじゃない、

また注目を集めたいのよ」と父親の本音を喝破し、こう続けます。

世界中で毎日誰かが注目を集めようと戦っているのに、

ブログもツイッターもフェイスブックも無視するパパなんて、

「存在していないのも同じ」だと。

いやね、映画でこの場面観た時ね、ドキッとしましたよ。

マイケル・キートン演じる父親とほぼ同世代としては、

耳が、ハートが、そうとう痛い、ごもっともなご指摘なわけで。

デジタルネイティブ世代からはネット文明の前でまごまごする世代など

前世紀の遺物、いや、先カンブリア時代の化石みたいなもの、

いや、そもそも、「存在」しないも同然・・・なのだろう・・・。

と嘆くのは、まだ早かった。こんな素敵な言葉にも出会った。

「ぼくらの時代の原っぱはネットの中にある」。

外出制限下のパリでシングルファーザーの父、辻仁成さんと

父子二人で暮らす10代の一人息子さんの言葉であります。

同じ朝刊に辻さんが寄稿した「パリに差した光り」に書かれていました。

ロックダウン直後、子供が希望を失うのではないかと心配する父をよそに、

「学校が閉鎖されてもリモート教育下でスケジュールをこなし、

サーバーの中で仲間たちと交友を深め」ていて、

「ぼくらの時代の原っぱはネットの中にある」と言い切ったのだか。

なんと清々しい。化石世代のアタシにも気持ちよく響く言葉だ。

そうか、ネットは君たちにとっての「原っぱ」なんだね。

学校に行けなくても、友達と会えなくても、野球やサッカーができなくても

ボクたちには、ちゃんと学び、遊び、楽しめる原っぱがある。

大丈夫、パパ、人生で大切なことはみんな、ネットで学べる。今はね。

そんな頼もしい息子さんにパパはこう言ったそうです。

二人が暮らすパリのアパルトマンは「宇宙船」で

「大きなミッションを持って火星に向かっているのだ」と。

だから毎日の父子ジョギングは「宇宙遊泳」、

二人で作る料理の食材買い出しは「船外活動」だと。

「パリに差した光り」というタイトルが沁みる。

そうだ、巣ごもりしているおウチは「宇宙船」だ。

感染拡大防止という人類共通の重大ミッションを持って

ポスト・コロナという価値観が変わるであろう未来へ向かっているんだ。

なかには船内機器に不慣れな乗組員もいたりするが(笑)、

行先は、みんな、同じ「希望」だ。

光りさす原っぱ。

子供たちよ、

よく遊び、よく学べ。

(写真は)

こころなしか

うっすら桜色?

我が家前の桜並木

つぼみが膨らんできたよ。