記憶の詰め合わせ
あ、
わたし、
これが好き!
日常の思い出がいとおしい
記憶の詰め合わせ
日曜日、いつもよりもじっくり新聞に目を通す朝。
文芸欄に投稿された俳句や短歌もゆっくり鑑賞していると
ある一篇の詩に切ない感情が揺さぶられました。
題名は「お菓子の詰め合わせ」。
いろいろな味が楽しめるお菓子の詰め合わせは
いつも知らぬ間に全種類食べてしまっていたのに、
今は、どれから食べたらよいか、どれを食べたいのか、わからなくなった。
「妻が死んだからだ」。
妻を亡くした夫が綴る詩に、心が揺さぶられました。
彼女が生きていた頃は「あ、私、これが好き!」とばかりに
どんどん喜んで食べ、詰め合わせはあっという間になくなったのに、
「でも今は どのお菓子も手つかずそのまま
かたくなってそのまま かびていく」。
その次の1行が哀切すぎる。
「ユミちゃんは死んだんだ」。
お菓子の詰め合わせは二人むつまじく過ごした幸せな時間の象徴。
箱を開けた時の彼女の歓声、嬉しそうに手を伸ばす姿、美味しそうな表情、
すべてが失われてしまった。
一人残された夫の悲嘆が淡々と綴られた詩に、胸がふさがった。
甘い物好きの我が家もお菓子の詰め合わせをいただくと、
二人そろって箱を開け、「どれにする?」「私これ」「じゃ、僕はこれ」と
それぞれ好きなお菓子を選んでは、半分こして楽しんだりしている。
こんな日常が、当たり前に続くと、いつのまにか思いこんでいる。
でも、命は有限なのだ。
いつか、どちらかが先に逝き、残された一人は
頂き物のお菓子の詰め合わせを前に、
この詩の作者のように、途方に暮れる日が来るのかもしれない。
でも、悲しみと愛おしさは、同じ成分でできている。
詩は、またいつの日にか、新しいお菓子の詰め合わせを君が買ってきて
「『お父さんこれが好きだよね』と僕の食べたいお菓子を
指し示してくれるに違いないんだ」と結ばれていました。
ともに過ごした日常の思い出が、残された者を支えてくれる。
悲しみが愛おしさとともに在り続ける。
ささいな記憶の詰め合わせが、生きるよすがになっていく。
いつか空の上で一緒にお菓子を食べながら過ごせる日がくるまで。
「愛は生き続ける」。
評者の一言に、深く共感した。
今度、お菓子の詰め合わせをいただいたら、
夫に先に選ばせてあげよう(笑)。
食いしん坊の妻は殊勝にそう誓った。
(写真は)
夫が仕入れてきた
柳月のお菓子色々から
「苺わらび餅」をチョイス。
一袋2個入りだったので仲良く半分♪

