記憶をつなぐ龍

美しい正殿を

ずっと守り続け

あの炎に耐えた

奇跡の大龍柱

記憶をつなぐ龍へ

先週末、2泊3日滞在40時間の沖縄弾丸実証実験ツアーを決行。

感染対策を十二分に講じて4年ぶりに愛する沖縄へ。

金曜18時に那覇空港に到着、宜野湾の超人気ビストロ「加藤食堂」で

絶品ごはんを堪能し、定宿ホテルで爆睡、

翌日は開門時刻に合わせて首里城を訪れました。

2019年10月31日、正殿を含む9棟が全焼した火災から2年。

ようやく訪れることができた首里城は未来へ歩み始めていました。

2022年着工、2026年完成予定の正殿復元工事を含めて

立ち上がる過程を一般公開する「見せる復興」を目の当たりに。

正殿正面の奉神門から北殿側へ復興工事を見学できるデッキが設置され、

壁代わりの白いシートには在りし日の首里城や、復元工事の様子などが

描かれていて、一緒に歩んでいるような気持ちになれます。

大丈夫、沖縄は、未来へ向かっているんだ。

美しい正殿が失われ、ぽっかり空いた曇り空に一瞬涙しましたが、

全国から集まったボランティアの人々が白テントの中で

焼け跡から集めた貴重な赤瓦の漆喰剥がし作業に励む様子を見て、

なんだか腹の底から勇気がわいてきました。

滞在時間が残り30時間でなければ、参加したかったのですが、

残念ながら、今回はとんぼ帰りの弾丸実証実験ツアー、

後ろ髪を引かれながら、ボランティア現場のテントを後にしました。

またいつか、なにか、できることを、しよう。

現在は瓦礫の撤去も完了し、復元工事の準備が進む段階で

まもなく正殿跡には調達した貴重な木材を保管する木材倉庫が建てられ、

作業の様子をつぶさに見学できるようになるようです。

また昨年6月からは「正殿遺構公開」も始まっていて、

世界遺産に登録され、国指定遺跡でもある正殿の基壇遺構も見学できます。

火災後焼け落ちた正殿の部材や灰などを撤去、保存するために土で埋め戻し、

屋根をつけて公開されていました。

そうだったよね。この石積みの基壇遺構は火災前の正殿内の床下にあって

ガラス越しに見学できるようになっていたんだよね・・・。

「基壇」とは正殿の建物を支える土台のこと。

古い石積みの列は奥に行くにつれて古い時代の基壇だそうで、

正殿が15世紀以降、少なくとも7回に渡って建て替えられたことを物語ります。

何度も何度も首里城は立ち上がってきたことを示す遺構なのでした。

また正殿屋根に設置されてた壮麗な龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)等

火災後の痛々しい残存物も展示されていました。

龍の頭部の面影をわずかに残す瓦礫から口髭の芯だったと思われる

赤錆びた鉄骨だけが空へ向かって伸びる姿に言葉を失います。

そして、あの「奇跡の大龍柱」にも会えました。

全焼した正殿前で黒焦げになりながらも焼け残った2体の大龍柱は

「奇跡の龍柱」「希望の龍柱」と称えられる再建のシンボル、

補修作業がほぼ終わり、専用のプレハブ小屋で公開されています。

やっと会えたね。頑張ったね。

尾を胴体に巻き付けて直立し、正殿を守っていた2体の大龍柱が

静かに横たわっていました。良かった・・・。

黒焦げもひび割れもきれいにしてもらえたんだね。

与那国島産の細粒砂岩で作られた高さ3.1mの大龍柱は

猛烈な炎に包まれ多数ひび割れ、部分的に取れ落ちる恐れもあったため、

ドリルで穴をあけアンカーで固定、穴をあけた箇所には

正殿基壇の破片をすりつぶした粉と樹脂を混ぜ合わせ孔埋めするなど、

丁寧な補修作業が施されていました。

このまま2年間展示し、正殿復元の際に新た作られる大龍柱の見本となり、

その後も火災の記憶を伝える歴史資料として展示される方針とか。

正殿前の大龍柱は1509年に初めて製作され、その後正殿の焼失、再建に伴い、

何度か作り替えられ、目の前に横たわる龍柱は1712年頃に製作された

大龍柱の形態、規模をモデルとしているのだそうです。

琉球王国時代、戦前、戦争、戦後、そして令和の炎上。

沖縄の過去、現在、未来を見つめ続けてきた2体の大龍柱は、

記憶をつなぐ奇跡の龍なのだった。

今は、ゆっくり休んでね。

よみがえれ首里城。

立ち上がる沖縄を見た。

(写真は)

奇跡の大龍柱

火災をくぐり抜け

記憶を未来へつなぐ