百年老店
昨日は立春。
ということは、今日はもう、暦の上では春、なんだ。
立春に合わせたかのように昨日の札幌は+5℃まで気温があがりましたが、
今朝の空のご機嫌はいかがでしょう?

淡い青い色をした西の空にお月さまがぽっかり。
朝の7時過ぎても、何かよほど心残りがあるのでしょうか。
ビルの上に少しだけ欠けた有明の月が浮かんでいました。
2日月曜日が満月でしたから、まだまんまるお月さまの面影を残しています。
立春過ぎの有明の月に心がほっと温まりました。
またひとつ、温もりある老舗が街から消えました。
昨日4日(水)、コメンテーターとして出演させて頂いたHBC「今日ドキッ!」の特集は
「すすきの老舗駄菓子屋 最後の3日間」。
すすきの市場の一角で人々に愛され続けた市内最古の駄菓子屋さんが100年の歴史に幕を下ろしました。
1922年(大正11年)創業の藤川菓子店は昭和33年からすすきの市場に店を構え、
量り売りの菓子やおつまみ、おもちゃを商い、ススキノのお店の人がおつまみなどを買いに訪れる
北海道最大の歓楽街すすきのオアシスのような存在でした。
カメラが昭和レトロな雰囲気が漂う市場の奥に入ると懐かしいお店がありました。
量り売りのお菓子のガラスケース、50年以上現役の量りが歴史を物語ります。
かりんとうやマコロンなど駄菓子をご主人がスコップですくって袋に詰め、量りにのせる。
子どもの頃、母親に連れられていった昭和の「お店屋さん」そのままの光景が残っていました。
ざざっとお菓子をすくって量りに載せると200グラムぴったり、
そして「はい、おまけ」と袋にちょちょいとお菓子を足してくれた。
「かっこいい、やさしい」その手際の良さと人情におかっぱ頭は惚れた。
大きくなったら、「お店屋さんになりたい」。
あの昭和の駄菓子屋さんは私が人生で最初に憧れた仕事だった。
その「お店屋さん」がすすきの市場で100年もの間商いを続けておられたのだ。感動。
藤川菓子店は2代目店主の藤川朗さんが高齢で後継ぎがいなかったため、
当時、珍味の卸売りをしていた取引先の久家亮寿さんが引継ぎ、息子の亮一さんと店を切り盛りしてきましたが、
昨年11月に父の亮寿さんが96歳で亡くなり、配達や仕入れなど一人では手が回らないために、亮一さんは閉店を決意。
今年1月31日、100年以上の歴史を持つ藤川菓子店はその歴史に幕を下ろしたのでした。
閉店までの3日間、昔からのお客さんや常連さんがひっきりなしに別れを惜しみに店を訪れます。
「ケースに入ったお菓子が好き、亡くなったおばあちゃんが好きだったもろこしと、夫の好物の江戸揚げを買った」という女性、
店で使う特注のお餅を買いにきた日本料理店の社長、子どもの頃おつかいに来ていたという男性。
そしてSNSで閉店を知りやってきた若い女性たちは「昭和レトロ、大好きなんです」とみんなが閉店を惜しんでいた。
お菓子もおつまみも電話やネットで買える時代。
でも、お客さんはみんな、藤川菓子店に足を運び、菓子ケースから量ってもらってお菓子を買った。
「味見するかい?」とスコップですくったお菓子を差し出してくれたり、「おまけね」と足してくれたり、
年季の入った量りをはさんで、「雪が凄いね」とか「米高いね」とか天気や景気の話をしたり、
人から人へ、手から手へと、温もりのある商いが人々の足を藤川菓子店に向かわせていたのだ。
人口減少、高齢化による後継者不足で地域に長く根差してきた商いが消えていく。
事業継承は簡単なことではないけれど、100年の歴史がひっそり幕を閉じてしまうのは切なかった。
台湾では長く続けている老舗は「老店(ラオディエン)」、なかでも100年以上続く店は「百年老店」と呼ばれ、
代々受け継がれた商いが人々に愛され、信用を守り続け、街の文化ともなっています。
昭和レトロな駄菓子屋さんも立派な百年老店だった。
なくなってしまった淋しさと
長い間お疲れさまでしたとの思いが行き来する。
憧れのお店屋さん。

沖縄の「ぜんざい」。
甘い金時豆が沖縄のぜんざいだ。
ぜんざいの老店が沖縄にはいっぱいある。

