今日と明日と
今日は8月6日です。
広島は原爆投下から81年の「原爆の日」を迎えました。
午前8時から広島の平和記念公園で「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれています。
今、この時間もテレビ中継画面から降り注ぐようなセミの鳴き声が聞こえてきます。

今日もいつものように眩しい夏の朝日が昇ってきた。

見上げた夏空の青さが目に沁みる。
2026年8月6日の空は泣きたくなるほど青が美しい。
今から81年前の広島の朝を想像する。
1945年8月6日午前8時15分。
「太陽が地上に落ちた」
広島と長崎。原爆に2度襲われた「二重被爆者」山口彊さんの言葉が
北海道新聞朝刊の卓上四季に綴られていました。
2010年に93歳で亡くなるまで核廃絶を叫び続けた山口さんは技師だった29歳の時、
出張先の広島の造船所で原爆が炸裂した瞬間を目撃しました。
真っ青な夏空から小さな落下傘が見えた。あれは何だろう?と思った瞬間、
地上に閃光が満ち、大火球が中空に膨らんだ。
「太陽が地上に落ちた」
ありえないことが、いや、あってはいけない惨劇の記憶。
「わしは明日死ぬような気がするんじゃ」
朝刊の読者投稿欄「被爆81年の夏」に寄せられた94歳の男性の文章には
広島に原爆が落ちる前日、近所に住む1才上の芥川君が家にやってきて突然そう言ったと綴られています。
戦時中の中学2年だった男性は特段驚きもしませんでしたが、
翌日、原爆投下、芥川君と2歳下の弟は被爆したそうです。
同じ朝刊の記事では94歳の女性は広島の原爆で亡くなった1歳下の妹を亡くしました。
爆心地から800mの場所で建物疎開の作業をしていた妹「むっちゃん」は遺体も遺骨も見つからず、
瓦礫の中から見つかった広島第一高女の制服と手元に残った日記を父は平和記念資料館に寄贈、
女性は今年6月、寄贈した制服と記念館を見に行ったそうです。
所々破れた制服は小さく、日記には明るく気取らない妹の素直な文章が書かれていました。
被爆前日の1945年8月5日のむっちゃんの日記は友達と川で泳いだことを綴った後、
こう締めくくられていたそうです。
「今日は大へんよい日でした。これからも一日一善と言ふことをまもらうと思う」
むっちゃんの今日。
芥川君の明日。
81年前の夏、広島の人々の今日と明日を引き裂いたのは
地上に落ちた太陽
2026年8月6日午前8時15分。
広島に原爆投下された時刻、
セミの声が降り注ぐテレビ画面に向かって祈った。
核は人類に必要はありませんと。


