町の中華

昨今、町中華がブームだ。
赤い暖簾をくぐると美味しい匂いが待っている。
町にある中華食堂だから町中華なのか。
いや、それだけじゃないんだ。

円山公園駅からすぐのマンション1階に赤い暖簾が掲げた老舗の町中華があります。
ず~っとその存在は知っていて、通りかかるたびに気になってはいたものの、
あまりにご近所過ぎて、これまで一度もその暖簾をくぐったことがなかったのですが、
先日の「今日ドキッ!」の「ザ・ロングセラー愛されるにはワケがある」第26弾の放送を見て、
これは行かねば!と、昨日の金曜日、夫と待ち合わせて、いざ出陣!


「福留」さんです。
地下鉄円山公園駅から徒歩5分、大通に面したマンションの1階に掲げられた赤い暖簾が渋い。
ご近所にはカフェやお蕎麦屋さんやビストロやパン屋さんなどがありますが、
庶民の味方である赤暖簾の町中華のお店はこの「福留」さん以外には見当たりません。


しみじみと赤い暖簾を眺める。
お店の名前は「福留」、中華にありがちな「龍」ではなく「留」の字なんだね。
長年、このお店の前を通っているうちに、赤暖簾+中華=「福龍」なんだと勘違いしていた。
なんか色々な意味で灯台もと暗し、ご近所過ぎて初訪問、敬意をこめて赤い暖簾をくぐるのだった。

「いらっしゃい!」
今年78歳になる福原正敏さんと二三子さんのご夫婦が出迎えてくれる。
創業は1972年、テーブルとカウンター合わせて14席の小さなお店を夫婦二人三脚で守ってきたと
番組で紹介されていましたので、混みそうなお昼前を狙って訪れたのですが、
11時半ですでに3組の先客で席は埋まり、空いていたカウンターになんとか座れました。
愛されているなぁ、「福留」さん。

中華鍋を振るご主人、材料を用意し、麺をほぐしたり、茹でたり、細々と立ち働く奥様、
カウンター越しに阿吽の呼吸で働くお二人の姿を眺めているだけで、もう至福。
お醤油、酢、辣油、胡椒などが載った調味料セット、箸箱、ティッシュ、コレよコレコレ。
町中華気分が盛り上がってきた、では、初訪問記念に町中華王道三点セットをオーダー。


「福留」一番人気の「タンメン」
白菜、もやし、人参、ピーマン、きくらげに豚肉、野菜たっぷりのタンメン、
透明なスープはあっさり、やさしい塩味、丁寧に時間と手間をかけてとったスープだと一口でわかる。
黄色い縮れ麺にスープ、野菜、するするとお腹に収まっていく。


そして「餃子」、町中華では外せない瓶ビールもね。
パリッと焼きあがった皮、肉の旨みと野菜の甘みが絶妙な餡がじゅわっとお口の中で弾ける。
さらに「炒飯」もまた、懐かしい「焼きめし系」の味わいで、初めてなのに「ただいま」と言いたくなった。
タンメン、餃子、炒飯をわしわしと平らげているうちに、先客は帰り、私たちだけになっていました。

すると、「お客さん、何見てウチ来たの?」とひと息ついたご主人が話しかけてきたのです。
「あ、あの、テレビ観て」と言うと、「そうかい、この雑誌見たのかと思って」と
地元グルメ雑誌に紹介された「福留」さんのページの写真を見せてくれて
「ほら、タンメンと餃子と炒飯でしょ?だから、コレ見て来たのか思って」とのこと。

寡黙そうに見えたご主人ですが、意外と話好きのようで、そこから「福留物語」が始まりました。
最近、雑誌やラジオ、そしてテレビ(HBC「今日ドキッ!」ね)の取材が相次ぎ、
11時開店の暖簾を上げる前からお客さんが並んでいたりしていたそうで、
「まあ、ちょっとは落ち着いてきたけどね」と嬉しそうに話されていました。

お父さんもお兄さんも中華の料理人で札幌にあった兄の店から暖簾分けする形で
1972年、55年前の円山で「福留」を開店。当時の円山は店を出すには不向きと周囲から言われていたそうで、
「山に向かって終わりだからね、これ以上発展しないってね」。
札幌オリンピックで街が急激に発展していった時代、外へ外へと広がっていくのが良しとされていたのだろう。

でも、店の前には当時、市電の電停があり、工事業者やオリンピック関係者も多く来店、
順調にお客さんもついてきた80年代、バブルに伴いマンションが建ち始めたころ、
ある日突然、「ここにマンションが建つから」と立ち退き宣告を受けるのです。
開店から13年、ようやく商売が軌道に乗ってきた大切な場所をご主人は必死で守ります。

「とにかくあきらめなかった、何度も何度も交渉して、円形ハゲができるくらいにね、
今はもう全部だけどさ(笑)」とジョークをかましながら語られた「福留物語」はそのまま放送したくなった。
喫茶店や居酒屋とご近所のお店が一つまた一つと立ち退きをのハンコを押すなかでも
この土地、この場所、ここのお客さんから離れたくないという一心で断固譲りませんでした。

結局、新築されるマンションの1階で営業継続ができるようになり、
ご主人が店の図面も自分で考えて、マンション工事と並行して店舗工事も進めてもらい、
マンション完成前に新店舗を一足早くオープン、すると工事関係者が続々来店「社員食堂だったね」と笑います。
真新しいマンションの1階に掲げられた「福留」の赤い暖簾には町の歴史が刻まれているのでした。

ちなみに「福留」の店名は兄弟の名前「福原」から「福」をとり、
「その福をここで留める」という意味でお兄さんが「福留」と名づけたのだそうです。
オリンピック、バブル到来とその崩壊、そしてその後の町の発展。
赤い暖簾は町の歴史を物語る。

単に町の中華屋さんだから、町中華なんじゃない。
町とともにあるから、町中華、なんだ。
円山の55年を知る赤い暖簾「福留」。
これからも、通います。