うりずん沖縄旅⑧~ヒストリート
昨日20日の夕方、三陸沖でM7,7の地震が発生、テレビ画面が緊急地震速報に切り替わり、
北海道太平洋沿岸中部などに津波警報が出たことを緊迫した声で伝えられました。
警報は午後11時45分までに解除されましたが、大地震の発生可能性が平常時より高まっているとして
北海道・三陸沖後発地震注意報が発表されており、しばらくの間気を抜くことはできませね。
今一度、地震への備えを見直してみなければと思いました。
春を越して初夏のような4月上旬の沖縄へ2泊3日のショートトリップ、
「うりずん沖縄旅」その⑨はコザ。
今回は短い日程だったので沖縄中部エリアを旅したのですが、
2日目は今年秋に復元工事が完成する首里城から沖縄戦の史跡「一中健児之塔」を訪れ、
首里の城下町にある「新垣カミ菓子店」で琉球王国時代からの伝統琉球菓子を買い求め、レンタカーは嘉手納へ。
極東最大の米軍嘉手納基地は4000m級の滑走路を持つ飛行地区を含む軍事基地で
居住地区には住宅、図書館、ゴルフ場、スーパーマーケットなどがあり、
通常は日本人は立ち入れませんが、唯一の例外である「嘉手納マリーナ・SEASIDE」へ。
青い海を臨む絶好のロケーションにあるレストランは米軍基地内にありながら
パスポートも身分証も必要なしで誰でも食事を楽しむことができるのです。
お料理もサービスも英語表記のメニューもドル払いもチップも完全にアメリカン。
テラス席から望む青い海、白いクルーザー、美しいビーチは、沖縄、なのに、
ここは米軍基地なんだと複雑な実感を抱えながらのランチ。
嘉手納町の面積の約82%が米軍基地に占められているという現実を肌で感じました。
日本の米軍基地の7割が国土面積の0.6%の沖縄に集中しています。
その現実は沖縄本島中部を旅するとさまざまな場面で感じます。
本島の真ん中あたり、ウェストがくびれたような中部エリアの海沿いや平坦な土地に広大な基地があり、
カーナビには何も表記されないエリアが延々と続きます。
戦前は集落や畑が広がるあるのどかな場所が戦争が始まると日本軍によって接収、空港が建設され、
戦後は米軍基地となり、人々はやむを得ず基地周辺の狭い場所に肩を寄せ合うようにして暮らさざるを得なくなったのです。
本島中部の幹線から住宅エリアに入っていくと複雑に入り組む道、傾斜地に肩をすくめるように立ち並ぶ住宅、
街の形そのものが、沖縄の歴史と現実を語りかけてきます。
レンタカーは嘉手納から沖縄市へ。
今も人々は愛着を込めて「コザ」と呼ぶ街。
ここにもぜひ訪れたい場所がありました。
米軍基地の出入り口(ゲート)を起点とする「ゲート通り」に向かいます。

ベトナム戦争当時、70年~80年代まで多くの米兵で賑わった街コザ。
今も週末の夜にはライブハウスやクラブなど夜のコザへ繰り出す米兵の姿がありますが、
昼間のゲート通りは古びた英語の看板が時間をやり過ごしているような雰囲気の中
一際目を引く赤い建物があります。
「沖縄市戦後文化資料展示館 ヒストリート」です。
戦前はほぼ純農村だったコザは戦後50年代から米軍基地建設によって急激に都市化、
県下第2の都市、中部の中核都市として発展、アメリカ文化を中心とする異文化と接触しながら
極めて個性的な「コザ文化」を創出してきました。そんなコザの歴史個性を展示した資料館は
沖縄市が運営、コザの戦後史情報の発信、街つくりを考える場所となっているのです。

館内はコザの戦後史に焦点をあて、ゲートに放置された米軍基地のフェンス、米軍製酸素ボンベの半鐘、
壁に貼られた1ドル紙幣、米軍のカマボコ兵舎、コーラ瓶で作ったコップなどが展示されていました。
中でも1970年の「コザ暴動」の写真には目が惹きつけられました。戦後25年、日本復帰を1年後に控え、
四半世紀に渡ったアメリカ統治への当時の沖縄の不満が爆発、基地の街を怒りの炎が包みました。

資料館の展示は写真撮影ができませんでしたが、
館内で販売されていた絵葉書がコザの戦後史を物語ります。
アメリカの圧政と人権侵害に対する不満がマグマのように溜まり吹き出したコザ暴動は
80台の車両が焼き払われ、逮捕者は21人、負傷88人を出しましたが、死亡者や生命にかかわるようなけが人はなく、
周囲の店舗への略奪行為もありませんでした。怒りの頂点にありながらも命を尊ぶ沖縄の人々の理性を思います。

沖縄の戦後史を象徴する「Aサイン」を象ったメモパッド。
アメリカ統治下の沖縄で米軍が飲食店などに出した営業許可証で
「Approved(許可済)」の頭文字「A」を大きく記した看板を掲げた店には
米兵の入店が許可され、安全な場所であることが示された制度は1972年の本土復帰まで続きました。
現在でも戦後から長く続く老舗レストランやタコス店、バーなどで
当時のAサインが掲げられているのを見かけることがあります。
当時のAサインは厳しい審査を経て認められた信頼の証でもあったわけで、
古びた許可証には沖縄の人々のプライドが詰まっているようにも見えます。
コザの歴史を語る「沖縄市戦後文化資料館」。
古びた英語看板が残るゲート通りに立つ戦後史の語り部、
ストリートでヒストリーを語る・・・ヒストリート、素敵な通称です。
さあ、ヒストリートを後にして、コザの今を探しに行きましょう。


