ちゃぶ台時代

1本でいっぱい嬉しい。
秋の花屋さんの店先がバラ色になっていた。
1本の茎にいっぱい花が咲く。
「スプレーバラ」だ。


1本でたくさんの花が楽しめるスプレーバラは大好き。
切り分けて小さなアレンジにもなるし、
大きなアレンジでは主役を引き立ててくれる。
いっぱいお花が集まるその姿は幸せな気持ちにさせてくれます。

もしかして「ちゃぶ台」も同じかもしれない。
今朝の天声人語が「昭和の暮らし博物館」館長の小泉和子さんを取り上げていました。
庶民文化の記憶を伝え続けてきたとして、今年の菊池寛賞に決まったそうです。
東京大田区にある博物館は小泉家が戦後まもなく建てた木造住宅そのもので
一家6人で暮らした昭和30年代の家財道具が展示されています。

ボーンと鳴る柱時計、のれんの向こうの台所から焼き魚の匂いがしてきそうな茶の間。
「ちゃぶ台がどっしりと存在感を示す」と博物館を訪れた天声人語氏が綴ります。
ちゃぶ台・・・昭和の暮らしを象徴する家具であります。
遠い記憶の中の真ん中に、ちゃぶ台がある。

茶箪笥とテレビとちゃぶ台。
今ではお笑い番組のコントでしかお目にかかれない風景ですが、
家族の暮らしの真ん中にあった存在だからこそ、
「ちゃぶ台返し」なんて言葉も生まれたのでしょう。

食事もお茶も宿題も団らんも、なんだったら夫婦喧嘩や親子喧嘩も、ちゃぶ台が舞台だった。
人数が増えても減っても丸いちゃぶ台は対応可能だったし、
使わないときは折り畳みの足をパタンパタンとすれば簡単に収納できた。
昭和の暮らしにフレキシブルにフィットする優れもの家具でありました。

ひとつのちゃぶ台に家族が寄り集まっていた風景は、スプレーバラみたいだ。
今はもう記憶の中にしかない昭和のちゃぶ台。
その語源は中国語の食卓を意味する「卓袱(チャブ)」に由来するという説や
「お茶を飲んだり食べたりする場所」から生まれたなど諸説あるようです。

そうだよね~、ちゃぶ台=お茶、だったよね~。
お茶は欠かせなかった昭和のちゃぶ台の上にはお茶道具があったものだ。
今やお茶はペットボトル、急須がない家庭も多いと聞きますが、
あの頃は急須をお湯で温めてからお茶の葉を入れてゆっくり湯呑に注いでいたなぁ。

急須・・・そうだ、ばあちゃんの急須を思い出す。
小さな頃、祖母の部屋に遊びに行ったときのこと、
祖母はいつもの急須に緑茶の葉を入れたあと、
「これも入れようね」と粉末ジュースを加えてお湯を注ぎお茶を淹れたのだ。

祖母の手元を見ていた子どもの私は少々(かなり)驚き、
果たして、淹れてくれたその液体は濃い緑とオレンジが混ざった不思議な色をしていて、
恐る恐る飲んだその味は、苦くて、甘くて、オレンジっぽくて、でも苦くて、摩訶不思議だったけれど、
「・・・うん、おいしいよ」と言った記憶がある。

小さくても、子どもは、わかっていたのだ。
孫には緑茶は苦かろうと祖母なりの工夫と心遣いだったということ。
自分のために淹れてくれたお茶を、おいしくない、とは言えなかった。
子どもなりに、一生懸命、相手の心を思っていたのだ。

と、長年、私はその時の出来事を、そう解釈してきた。
しかし、今、はたと気づいた。
祖母が粉末ジュース入りのお茶を淹れたのは、その一回限りだったこと。
ちっこい孫が「うん、おいしい」と演技しても、祖母は本当のことが分かっていたのだ。

不思議なお茶を淹れてくれたこと。
子どものホンネにさりげなく気づいていたこと。
ちゃぶ台の時代、三世代が暮らしていた昭和の暮らしの小さな記憶。
「いつの時代も、最も残りにくくかつ軽んじられるのは一番身近なはずの庶民の暮らしである」
小泉和子さんの言葉が深く心に沁みる秋です。


文明堂の「ドラえもんどらやき」。
ドラちゃんの焼き印がカワイイ。
どら焼きはちゃぶ台によく似合うおやつだね。