月桃ゆれて
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甘い香りを
漂わせ
白とピンクの花が
鈴なりに咲く
月桃ゆれて
6月23日は「沖縄慰霊の日」です。
太平洋戦争末期の沖縄戦の組織的戦闘が終わったとされる日から
今年で80年となりました。
本日正午前から沖縄平和祈念公園で沖縄戦戦没者追悼式が行われます。
沖縄戦の戦没者約24万人もの名前を刻まれた「平和の礎」は
軍人も民間人も国籍も隔てなく記されています。
1995年の建立当時、県内で全数調査が行われましたが、
全ての戦没者は網羅できず、以降毎年、追加刻銘の申請が続き、
今年も342人が加わり、24万2567人の名が黒御影石に刻まれます。
戦艦大和の乗組員や米兵なども含まれた342人の中には、
1945年に栄養失調で亡くなった2,3歳の男の子の名もあったことを朝刊で知りました。
誰も住まなくなった旧家から甥夫婦が古い位牌を発見、
叔父にあたる名前があり、はじめてその存在を知ったそうですが、
80代の母は沖縄戦の記憶を無意識に避けるうちに、
幼くして亡くなった弟の名前を忘れていたそうです。
あまりに苦しい記憶は忘れて生きるしかなかったのかもしれません。
県民の4人に1人が犠牲になったとされる沖縄戦。
沖縄を旅し、沖縄の人々と語れば、
「ああ、うちのおじいの名前も礎にあるよ」など、
多くの県民が「遺族」であることに気づかされます。
決して80年前にきっぱりと戦争から線引きされたわけではないのです。
先日のTBS「報道特集」では敗戦後まで続いてた久米島の悲劇を特集していました。
日本軍は住民を守るどころか、米軍と接触したとされる住民などをスパイ視、
「殺害リスト」まで作り、家族もろとも虐殺したと当時を知る島民が証言。
この悲劇は6月23日以降に起き、9月まで続いたそうです。
9月・・・。8月15日に戦争は終わっていなかった。
朝刊に沖縄戦の戦闘経過と戦後の動きを示す地図と年表が載っていました。
「1945年8月15日、終戦」
「1945年9月7日、日本軍の南西諸島司令官が降伏文書に調印、沖縄戦が公式に終了」
島の人たちが「山の兵隊」と呼んだ部隊が米軍によって武装解除されるまで
久米島の悲劇が続いていたことを物語っています。
沖縄戦は戦後の住民の証言によって国による公の戦史や
軍人による戦記からは見えなかった実相を浮かび上がらせてきました。
戦後80年、当時をする証言者が数少なくなるなか、
その事実を受け止めた今の世代がどう将来につないていくのか、
6月23日の朝、深く考え込みます。
沖縄は月桃の花が咲く季節。
6月23日の慰霊の日に沖縄各地で歌い継がれる歌があります。
♪月桃の花ゆれて 花咲けば 夏のたより南風
緑萌える うりずんの ふるさとの夏
沖縄戦の悲劇と向き合い、平和を願う「月桃の花」です。
1982年に沖縄のシンガーソングライター海勢頭豊さんが作った歌は
「戦争」や「悲しみ」という言葉は使わずに
この季節に美しく逞しく咲く月桃の花に生きる勇気を託していますが
後半の歌詞はこう歌われています。
「六月二十三日待たず 月桃の花散りました
長い長い煙たなびく ふるさとの夏」
沖縄慰霊の日。
月桃の甘い香りと沖縄のお線香ヒラウコウの香りを想う。
(写真は)
札幌の6月
紫陽花の花が色づきはじめた
沖縄は月桃ゆれる


