明日がある

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昭和、平成、令和

そして

これからもきっと

ミスターが教えてくれた

明日がある

週明けの月曜日の朝、ニュース速報に誰もが驚き、ショックを受けました。

今月3日、長嶋茂雄さんが肺炎のため亡くなりました。89歳でした。

翌日の朝刊各紙1面トップの見出しには同じ言葉が並んでいましたね。

「ミスタープロ野球」と。

今朝のテレビ番組に息子の一茂さんが出演されていて、

お父上への思いを語っていました。

時代を照らして続けた不世出の「ミスタープロ野球」としての父は

遠征もあり、家にいる時間は少なかったそうです。

「長嶋茂雄」でいる時間が圧倒的に多かったなかで、

野球を始めた息子とのキャッチボールには1時間でも付き合ってくれたとか。

家族としての会話は少なかったかもしれないけれど、

キャッチボールの中で「親父と会話していたのかもしれない」。

そして、家族として見つめてきた父、長嶋茂雄の人生は

2004年に病気で倒れてからの時間の方が

現役時代よりもずっと壮絶で苦しかっただろうといいます。

それでも親父はファンのためにと頑張ったんだと思うと。

私は長嶋さんが天覧試合でホームランを打った年に生まれた世代、

現役時代の活躍や数々の記録は知っていても

同世代の野球少年のようにはあまり詳しくないのですが、

長嶋さんの人生で最も鮮烈に印象に残っているのは

病気をされて懸命にリハビリに取り組むミスターの姿なのです。

長嶋さんを偲ぶ番組の中で、

松井秀喜さんがリハビリ中の長嶋さんを訪ねた時の映像を見ました。

「イチニッ!イチニッ!イチニッ!・・・」と

理学療法士に後ろから支えてもらいながら、

それは凄いスピードで懸命に歩行訓練をする長嶋さんの姿に

松井さんは思わず呟きます。「・・・これは、凄い・・・」

リハビリを終えた長嶋さんは

「今日は松井君が見ていてくれたからね、張り切ったよ」と

少し恥ずかしそうな笑顔で話していたのが印象的でした。

長嶋さんは生涯、応援してくれる誰かのために、頑張る人だった。

現役、監督時代はファンのために、

倒れてからは同じように病やケガと向き合う人々のために、

ずっと、「長嶋茂雄」であり続けてくれたように思います。

明日があるよ、だから今日頑張ろう。

昭和の高度成長期を象徴するスーパースターは

超高齢化社会を迎えた令和の時代にとってもやはりスーパースターだった。

動かない身体を、あきらめない。

国民栄養賞の始球式で松井さんの投げたボールに対して

左手一本で本気に打ちにいった姿が忘れられません。

プロ野球交流戦の試合を観ていた時、

選手がサードに飛んだ打球を捕れなかった場面で夫が思わず言った。

「長嶋さんなら、捕ってたぞ!」

昭和の野球少年の記憶には「長嶋茂雄」は永久に不滅なんだと思った。

長嶋さんの太陽なような笑顔が

ひたむきで華麗なプレーが

必死のリハビリが

教えてくれた。

明日がある。

(写真は)

円山の緑

エゾハルゼミが鳴いている

長嶋さんは緑の円山球場もお好きだった