あの子の牛乳

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白くて甘くて

栄養満点

おなかいっぱい

飲んでほしい

あの子の牛乳

リラ冷えの雨が降る朝です。

窓を開けて深呼吸をしたとたん、

爽やかな緑と芳しい花々の香りがしました。

久しぶりの雨が初夏の薫りを一層際立たせているようです。

そんな日曜日の朝、ゆっくりめくっていた朝刊に

はっとする見出しと印象的な写真が目に飛び込んできました。

「『あの子』のおなか いっぱいに」

女の子の絵が描かれた牛乳パックの写真が添えられています。

戦後80年の特集記事が取り上げていたのは

福島県の会津中央乳業が生産する乳製品に描かれている「あの子」のこと。

二つに分けた髪にふっくらした頬で微笑む女の子は

「あの子」であって名前はありません。

絵のモデルになったのは

80年前、戦後の混乱の中で亡くなった1歳10か月の女の子。

会津中央乳業の創業者の二瓶四郎さんの長女孝子さんで

現社長の孝也さんの姉にあたります。

戦前、南満州鉄道で経理の仕事をした四郎さんは妻文子さんと結婚、

1943年にハルピンで孝子さんが生まれますが、45年8月9日、

日ソ中立条約を破ってソ連軍が国境を超え進軍、四郎さんは連行され、

身重だった文子さんは逃避行のさなか栄養不足から母乳も出なくなり、

その年の9月に衰弱しきった孝子さんは亡くなりました。

孝也さんが生まれたのは姉の死から2か月後の45年12月。

母子は46年10月に引き揚げ、四郎さんはシベリア抑留を経て48年に会津に帰郷。

3頭のホルスタインから牛乳配達の仕事を始めます。

ある日、牛乳瓶の目印のために瓶の製造業者が女の子の絵を描きました。

戦後に生まれた孝也さんの妹啓子さんの似顔絵だったそうですが、

四郎さんと文子さんはその絵の中に亡くなった孝子さんを見つけます。

牛乳瓶や配達の箱にその絵を描き、68年からは正式に会社のマークにし、

以来60年近く、牛乳、アイスクリーム、ヨーグルトなど全ての商品に

「あの子」が微笑んでいるのでした。

あの時、栄養あるものを食べさせられていたら、牛乳があったなら。

おなかいっぱい、食べさせたかった、飲ませたかった・・・

それぞれの家庭に、そんな「あの子」がいるはずだ。

だから、名前はつけない。「あの子」でいい。

すべての子どもが栄養あるものを食べて健やかで幸せであってほしい。

戦後80年。私も毎朝、おいしいヨーグルトを食べています。

気温が上がった先日は北海道産牛乳で作ったソフトクリームを味わいました。

真っ白で甘くて冷たくて栄養豊富なミルクがおなかと心を幸せにしてくれました。

80年前、お母さんの母乳も飲めずに亡くなった「あの子」、

同じように栄養不足から命をつなげなかった子どもたちのこと、忘れていけない。

80年前だけではありません。

ウクライナで、ガザで、スーダンで戦争、紛争が続いています。

深刻な食糧不足が続き、飢餓状態に苦しむ大勢の「あの子」が世界にいる。

「あの子」の牛乳は、現在進行形のことなんだ。

戦争は、飢えを生む。

「あの子」がおなかいっぱい食べられますように

おなかいっぱい牛乳を飲めますように

世界の大人が考えて動かくちゃいけないのだと思う朝だった。

(写真は)

北海道産牛乳で作った

ソフトクリーム

白くて甘くて冷たくて

栄養豊富なおやつです