敬意と警鐘と希望

肉体的苦痛や

辛い記憶にも関わらず

大きな犠牲を払った経験を生かして

希望と関与を育むことを選んだ

敬意と警鐘と希望

昨夜、大きなニュースが飛び込んできました。

「被団協に平和賞」

朝刊各紙は1面トップ、大きな見出しで伝えています。

日本時間の昨日、ノーベル委員会は今年のノーベル平和賞を

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表しました。

「核兵器のない世界の実現に尽力し、核兵器が二度と使われては

ならないことを証言を通して示してきた」ことが授賞理由としています。

広島、長崎で原爆の被害を受けた生存者で作る被団協について

「筆舌に尽くしがたいものを描写し、理解できない苦しみを

我々が理解できる一助となった」と称えました。

世界で核使用の脅威をはらむ戦争が続く現在、

被団協がノーベル賞受賞したことは大きな意味があります。

複雑で強固な安全保障からの観点からではなく、

ただ一つの被爆国の生存者たちの市民組織である被団協は

「ノーモアヒバクシャ」のメッセージは世界に訴え続けてきました。

「ジャパニーズ オーガニゼーション 二ホンヒダンキョウ」

ノーベル委員会の委員長は、「二ホンヒダンキョウ」と

はっきりと日本語で平和賞授賞を発表しました。

ヒバクシャ、ヒダンキョウへの最大の敬意と賛辞に思えます。

被爆80年を前に核廃絶に向けて大きな一歩となる受賞を

唯一の被爆国である日本政府のトップはどう捉えたのか。

「長年、核兵器の廃絶に取り組んできた同団体にノーベル平和賞が

授与されることは極めて感慨深いことだ」と石破総理が

訪問先のラオスで答える場面をニュースで見ました。

残念だった。

日本政府の公式見解、正確さが求められるのはわかりますが、

ペーパーに目を落としながら口にした「ドウダンタイ」という言葉。

ドウダンタイ(同団体)という日本語の響きが悲しかった。

行政やビジネスの書類などではよく見かける「同○○」という表現、

重複を避けるための便利な日本語ではありますが、

読むための書類でなら素通りできても、

平和賞を受賞した「日本被団協」の名前はきちんと言ってほしかった気がする。

ノーベル委員会が敬意をこめて「ニホンヒダンキョウ」と呼んだ響きと

「ドウダンタイ」という響きは、似て非なるもの、対照的だった。

言葉は、本当に、大切だと思った。

「ヒバクシャ」「ヒダンキョウ」が世界の共通語になったことを

日本国民の一人として真っ直ぐに受け止めたいと痛感した。

被爆者が苦難の記憶を抱えながら証言を続けてきたこと、

高齢化が進み、生きた証言が聞かれなくなる日が遠くないこと、

しかし次の世代が記憶をつなぎ、未来へ歩み出していること。

世界に危機感が迫る中、広島、長崎の実相を自分事として考え続けること。

ヒダンキョウの平和賞。

敬意と警鐘と希望を象徴する出来事だ。

(写真は)

平和賞受賞の翌朝

真っ青な秋空が広がっていた。

79年前のキノコ雲の下で

何が起きていたのか

考え続ける