現在進行形の70年
1954年
9月26日
暴風と高波の中で
大きな船が沈んだ
現在進行形の70年
なぜ事故は起きたのか
防げる手だてはなかったのか。
70年前の海難事故から何を学んできたのか。
1954年青函連絡船5隻が沈み1430人が犠牲になった「洞爺丸事故」から
昨日9月26日で70年を迎えました。
コメンテーターとして出演させて頂いた昨日のHBC「今日ドキッ!」では
「洞爺丸事故」と、同日発生した「岩内大火」について特集されました。
大学進学目前で洞爺丸事故で父を亡くし人生が大きく変わったご遺族や
乗組員の記録を復刻させた男性、町の8割が焼失した大火からの生存者の証言、
「岩内魂」と全国からの支援で奇跡の復興を遂げた町の人々は
のちの災害被災地への支援をずっと続けていることなどが紹介されました。
「洞爺丸事故」発生当時はまだテレビのない時代。
HBCラジオ開局は1952年、その2年後に起きた未曽有の海難事故を伝えた、
当時のラジオ実況の音声テープを新人研修時代に聴いた記憶があります。
ぽっかり船底を見せる洞爺丸、七重浜に打ち上げられた犠牲者の痛ましい姿を
感情を抑えて伝える音声は今も記憶に刻まれています。
事故はなぜ起きたのか。
気象衛星も雨雲レーダーもない時代、
一瞬の晴れ間に「台風は通過した」と誤認したこと、
船尾の開口部が大きく防水が不十分が船体構造だったこと、
戦後復興を担う本州と北海道を結ぶ唯一の重要交通インフラだった青函連絡船は
重い運航責任を背負っていたことも無関係ではないかもしれません。
事故後の海難審判の裁決要旨が国交省のHPに記載されています。
荒天下で出航した船長の職務上の責任を認めるとともに
運航管理部門が連絡船の安全運航は「船長にゆだねれば足りるとして」
安全管理などの介入をしなかったとも書かれていました。
知床の観光船沈没事故とも重なります。
海の事故を防ぐためには大きな責任がある船長はもちろんのこと、
運航管理者の責任もまた重いと、70年前の事故が教えていたのだ。
洞爺丸事故の教訓は過去のものではない、現在進行形なのだと
痛切に感じた9月26日でありました。
自然の強大な力の前に人間は自らの小ささを自覚し、
常に備え、時に立ち止まり、持てる力を出し合うこと。
現在進行形の70年が教えること。
忘れてはいけない。
(写真は)
秋なのに
蒸し暑くて
どんより曇り空
天気は気まぐれ


