終わった?
8月15日
終戦の日
本当に
戦争は
終わった?
今日8月15日は「終戦の日」。
先の大戦で犠牲となった約310万人を悼む全国戦没者追悼式が
午前11時51分から東京の日本武道館で行われます。
参列する遺族のうち戦後生まれは約1500人と
割合は47%と過去最大となりました。
終戦から79年。
旧軍人恩給の受給者数はピーク時の1970年度には125万人以上でしたが、
今年3月末時点で1093人と前年より788人減少、
今年度中に千人を切る可能性があり、受給対象外の元兵士も含めて、
戦争の実態を知る「戦場体験者」の数は確実に減っています。
戦争体験世代の声をどう継いでいくのか。
戦争を経験した人から「戦争の現実」を語ってもらうことが
まもなくできなくなる時代がすぐそこにまで迫っている現状を目の当たりにし、
自分自身も深い後悔を感じています。
今朝の北海道新聞の卓上四季が作家野坂昭如さんを取り上げていました。
79年前の8月、14歳の少年だった野坂さんは神戸空襲で焼け出され、
栄養失調になった1歳半の妹と二人きりで福井の農村に疎開。
15日の玉音放送を聞いて「もう焼夷弾から逃げなくていい。生きていける」と
ほっとしますが、死は身近に迫っていましや。
首も座らず、泣き声もあげず、骨と皮だけになった妹が息を引き取ります。
荼毘に付すと骨は爪の先ほどしか残らなかった。
「戦争の正体」とは何なのか。戦後闇市派と自称した作家は
戦後70年に亡くなるまで作品の中で問い続けました。
野坂さんの「戦争」は作品に残されている。
だが、私は戦争体験者だった亡き父の「戦争」を詳しく知らない。
終戦を戦地で19歳で迎えたこと、抑留体験があること、
比較的早く帰還できたこと、「兄さんが無事だった」と家族が涙で迎えたこと、
親戚などから断片的に聞いた記憶があるだけなのだ。
父も自ら語ることはなく、「ロシアの黒パンが懐かしい」とか
「ロシアの家は壁におがくずを入れて暖かいんだ」とか、
むしろ郷愁に近いようなことを言っていたことを覚えている。
抑留が楽園だったはずはなく、どういう思いでそう語っていたのか、
子どもだった私はその真意を尋ねるには幼な過ぎた。
10数年前に父が亡くなり、それから8月15日が巡ってくるたびに
もっと、きちんと、父の戦争を聞いておけばよかったと後悔する。
私もとっくに大人になっていたのに、家族だから聞きにくかったのか、
聞くきっかけがなかったのか、なんで聞いておかなかったんだろう。
小説にも映画にもドラマにもならない「戦争」が無数にある。
4千人近くの元兵士の証言を聞いたノンフィクション作家の保坂正康さんは
彼らは多くを語らなくても「二度とあんな経験は嫌だ」という共通の思いを
抱えていて、その存在が不戦の「重し」だったと朝刊記事に綴っていました。
戦争を体験した人たちは絶対に戦争は起こしてはいけないと思っていたのに、
今も世界から戦火は絶えない。日本では「新しい戦前」という言葉も生まれた。
戦後79年の「終戦の日」だけれど、本当に戦争が終わったのか?
お盆の中日、心の中で亡き父に聞いてみたい8月15日だ。
(写真は)
8月15日の朝
夜の雨がやみ
晩夏の青空が見えてきた


