生を詠む

五七五

十七の音に

すべてを

かける

生を詠む

非常に強い台風10号は鹿児島の南西海上をゆっくり北上中、

最強クラスの勢力を維持したまま九州を直撃する恐れがあり、

最大瞬間風速は65m、総雨量が1000mmを超える記録的な大雨が予想され、

厳重な警戒が必要と気象情報が伝えています。

一方、札幌は朝からすっきりとした青空が広がり、

台風10号の影響を伝えるテレビ映像との違いに戸惑ってしまいます。

南北に長い日本列島をなぞるように台風10号はゆっくりと

ジョギング程度のスピードで北上するようですから、

やはり天気図からは目が離せない日が続きそうですね。

収穫目前の田畑に影響が出ませんようにと祈る気持ちで朝刊をめくる朝。

文化欄の写真付きの記事に見出しに目が吸い寄せられました。

「子規の未発表句 生々しく推敲の跡」

現代俳句の先駆者正岡子規の推敲の跡が残った未発表句が見つかったそうです。

東京の根岸にある子規の旧居「子規庵」を運営する子規庵保存会の発表によると

年始の挨拶に訪れた客が記す「歳旦帳」という冊子に墨で書かれていた一句とか。

1899年(明治32年)1月1日の作とみられ、新年を迎えた慶びを詠んだ句で

原句も推敲後の句もこれまで知られていなかったそうです。

原句は「病牀をすべりおりたる御慶哉」で、

推敲後の句は「はひおりて病牀の側の御慶哉」となっています。

「すべりおりて」が「はひおりて」に代わり、語句の順番も入れ替わり、

一句が表す景色や様子がよりリアルに伝わってきます。

明治28年に28歳で日清戦争従軍記者して赴いた中国からの帰国船中で喀血、

その後、入退院をしながら精力的に創作活動に打ち込んでいましたが、

翌年には脊椎カリエスの手術を受け、足も不自由になっていた子規。

明治35年9月19日、35歳で亡くなるまで病床での創作も続けました。

今回見つかった未発表句はすでに足が思うように動かせなくなっていた頃。

1月1日、子規を慕って多くの文人仲間や弟子が入れ替わり立ち代わり、

根岸の子規庵に新年の挨拶に訪れていたのでしょう。

「どれどれ、僕も一句」と病の床を出て詠んだ一句と思われます。

「病牀をすべりおりたる御慶哉」から

「はひおりて病牀の側の御慶哉」へ。

「すべりおりる」ほどの体ではないと自らの今を直視し、

「はひおりる」とした子規の観察力、客観性、写実性に圧倒されます。

ただ美しく、心地よい語句を並べても意味はない。

いまを生きている「現実」を五七五の十七音に込めるんだ。

そんな子規のすさまじいまでの生を詠む姿に、ただ圧倒される。

今、私は、ここに、こう生きている。

俳句とは、生を詠む文学なのだ。

死の前年の初夏、植木屋を呼んで子規庵の病室の前に糸瓜棚を作らせた子規。

翌年の5月から「病牀六尺」の連載開始、死の2日目まで書き続けました。

9月18日絶筆糸瓜三句を記し、19日午前1時ごろ亡くなります。

戒名「子規居士」

子規、ここに生きた。

根岸の子規庵、また訪れたくなりました。

もうすぐ糸瓜忌がやってきます。

(写真は)

台風10号はさきほど

鹿児島県薩摩川内市に上陸

札幌は抜けるような青空

ちょっと戸惑う