サヨナラ2024
人生は
出会いと別れの
積み重ね、
でもないのか?
サヨナラ2024
久しぶりに亡き父の夢をみた。
インドネシアらしき南国へ家族旅行にでかけた夢だった。
生前、何度ハワイ旅行に誘っても、「真珠湾と戦争を思い出す」と
かたくなに首を横に振り、結局、海外旅行は一度もしないまま、
外国よりも遠い天国に旅立った大正15年生まれの人だった。
そんな父が夢の中では帰国前夜、家族みんなのパスポートを確認し、
「明日は10時50分にはホテルを出発しよう」なんて言っていた。
「いや、道も空港も混雑するから、もうちょっと早く出よう」なんて
私も答え、旅の最後の食事をとるため南国の街を歩くのだった。
朝、夫に夢の話をすると、「あー、1日遅れの父の日だね」と言われた。
確かに、16日日曜日は父の日だった。
天国との時差で少し遅れて昨夜の夢に出てきてくれたのだろうか。
そういえば、私は父に言えなかったな、サヨナラを。
「サヨナラができない」。
朝刊のオピニオン欄のテーマに目が留まりました。
「スマホ1台で地球の果てまで『つながり』追跡される時代は
『サヨナラできないのが人生だ」なのか」とテーマ趣旨にある。
「サヨナラだけが人生だ」なんて言葉は、もう時代にそぐわないのか?
現代のサヨナラについて3人の論者の意見が紹介されていました。
作家の井上荒野さんは恋愛におけるサヨナラの苦しみはSNSによって
薄められているのではと指摘、労働法研究者はデジタル化によって
いつでもどこでも業務できる時代になり「サヨナラすれば仕事は終わり」
ではなくなり「労働者のつながらない権利」について言及していました。
また社会学者の土井隆義さんは「不安な未来より過去の縁」と言います。
かつては中学、高校、大学へと進むにつれて交友関係も入れ替わっていましたが、
今の若者は「同中(おなちゅう)」と呼んで中学時代の仲間も大切にするなど、
進路や住む場所が変わっても、生まれた土地の人間関係が
ずっと維持されるのだそうです。
SNSによって「つながり」が維持される現代、
卒業にも、別れのイメージは以前ほど強くないのでしょうね。
惜別と出会いで関係が「更新された」時代とは異なっているらしい。
地理的距離も時間的距離もSNSでつながっていればノープロブレム、
サヨナラだけが人生、じゃない、のだ。
しかし、SNSなどのツールだけが変化の要因ではないと指摘します。
1990年代から2000年代にかけて日本のGDPも実質成長率も横ばいへ転じ、
右肩上がりの時代は完全に終わり、若者にとって「未来」は努力して登る
高い山ではなく、平坦で霧がかかった高原でしかなくなった。
先は見えない、下りしかないのかもしれない・・・。
大学生の意識調査によると「日々の生活で考えていることは」の問いに
「よりよい未来が迎えられるよう」との答えは約17%、
一方「過去を振り返りながら」が約30%だったそうです。
過去を振り返るのは老人の専売特許でなかった。
若者は「不安な未来より過去の縁」を大切にする現代なのだった。
サヨナラができない。
サヨナラする必要がない。
サヨナラできずに過重労働になる。
サヨナラの一言が現代社会の側面を浮かび上がらせているようだ。
そして、父。
入院中の真夜中に静かに息を引き取った。
天国に旅立った後、深夜の知らせでその死を知った。
だから、サヨナラは、言えなかった。
それでも不思議に悔いはない。
私の心の中で父との過去=思い出が自由にきままに蘇る。
水族館に行くバスの網棚にお弁当とバナナを忘れたこと、
母のいないお昼時、たった1回だけ作ってくれたカレー炒飯、
不器用でシャイで頑固だった父、たまには夢にもでてきてくれる。
1日遅れの父の日。
サヨナラはできなかったけど、
今は自由に心で再会できる。
サヨナラ2024。
(写真は)
夫が大吾パンを買ってきた。
とろとろクリームパンと
父が好きだったあんぱんと
ダイエットにサヨナラできない(笑)


