贖罪

異才

科学者

プロメテウス

戦争

贖罪

映画「オッペンハイマー」を観ました。

3時間を超える作品のエンドクレジットが終わり、

館内が明るくなっても、しばし動けませんでした。

人間は、神の火を盗んでしまった。

その責任は、誰にあるのか。

原子爆弾の開発者である米科学者オッペンハイマーを描いた作品は

アカデミー賞各賞を獲得、高い評価を得ました。

当初、唯一の被爆国である日本での公開は見送られましたが、

今年春からの公開が決定、原爆の実相が正面から描かれていないなど、

賛否両論あるようですが、まずは観なければわからないと

昨日、映画館に足を運びました。

映画は原爆開発に邁進するオッペンハイマーの前半生、原爆投下後の人生、

アメリカ政府の閣僚審問と3つの時間軸が交差する形で進行するため、

登場人物も多く、冷戦、赤狩りと戦後の複雑な歴史背景も絡み、

一度見ただけでは詳細を理解しきれない部分もありましたが、

作品のメッセージは明白に感じました。

「息子世代に希薄になった核兵器の怖れを喚起したい」と語った監督の意図は

3時間超えを感じさせない濃密な画面に貫かれているように思います。

原作はアメリカの著名な歴史家ガイ・バードとマーティン・シャーウィンの共著

その原題は「American Prometheus

       The Triumph and Tragedy of J.Robert Oppenheimer」。

オッペンハイマーをギリシャ神話に登場するプロメテウスに例えています。

神の火を盗んだために神の怒りを買い罰せられたとされるプロメテウス。

オッペンハイマーは原爆の火を人間にもたらしたが、投下後にその破壊を知り、

その火は危険だから使わないように人々に伝えようとした、

アメリカのプロメテウス、という意味でしょう。

原作の広告が朝刊に載っていましたが、

上中下の3部の表題は「異才」「原爆」「贖罪」。

異才の物理学者が国家の命を受けて原爆開発に突き進む当時の熱狂、

そして原爆炸裂、破壊、神の火を作った科学者の苦悩を映画は描きます。

確かに広島、長崎の原爆の実相を直接表す場面はありません。

しかし、原爆が開発され、投下する都市の選定をする場面、

軍の指揮官は無造作に幾つかの候補の年の名前を口にします。

「ヒロシマ」「ナガサキ」と。

そこには高揚感も、もっといえば憎しみなど負の感情すらも感じられず、

ごくフラットに、平坦なトーンで、まるでビジネス会議の一場面のように

2つの都市の名前が語られたことに、痛烈な衝撃を感じました。

そして、その場に、オッペンハイマーも同席していました。

「贖罪」という言葉の意味を、深く考える。

確かに戦後、オッペンハイマーは核兵器の国際管理を提案し、水爆に反対し、

ロビー活動を続け、冷戦時代の赤狩りによって自身の安全も脅かされましたが、

彼一人の「贖罪」の物語に帰結してしまってよいのだろうかと。

もうひとつ、映画で印象的だった場面があります。

原爆投下後の10月、トルーマン大統領と面会したオッペンハイマーは

「大統領、私の手は血塗られているように感じます」と吐露します。

すると大統領は「血塗られているのは、原爆を作った君ではなく、

使った私の手だ」と答えるのでした。

そして面会後、オーバルルームのドアが閉まる瞬間、

大統領が側近に吐き捨てます。「あの弱虫を二度と入れるな」。

この場面は複数の伝記にも記されている史実のようです。

ある書物ではオッペンハイマーを「泣き虫科学者」と呼んだとも。

異才。科学者。軍人。政治家。プロメテウス。戦争。贖罪。

どの言葉で切り取っても、すべては理解しきれない。

1945年8月。二つの都市の上空で神の火が炸裂したこと。

その責任は、誰にあるのか。

作った科学者か。使うことを決めた政治家か。投下した軍か。熱狂した市民か。

「贖罪」の二文字ではとても担いきれない。

3時間では理解しきれない。

もう一度、観なければ、わからない。

多分、それでも、わからない。

わからないから。

考え続けたい。

「贖罪」の意味。

(写真は)

春の青空

上空は穏やかで平和だ

誰がプロメテウスなのか