忍びのもち
300万年前
湖の底だった
歴史ある里の
粘り腰
忍びのもち
桜前線ご一行様、旅のペースがぐんと早まっています。
昨日12日、盛岡で桜の開花が発表、北日本を順調に北上中、
すでに秋田、仙台、福島、山形で開花、いずれも昨年よりは遅いものの
平年よりは早い開花、津軽海峡を渡るスピードも鼻やるかも。
札幌の開花も各気象会社では4月22,23日頃と予想されており、
満開も26,27日頃、お花見プランも前倒しした方が良さそうです。
桜の開花が気になって、気もそぞろの楽しい季節がやってきました。
夫も浮かれて(笑)あの絶品みたらし団子と大福を再びお土産にご購入。
滋賀県大津市の「菓匠 将満」の「極上生みたらし団子」。
大津市は遣隋使小野妹子ゆかりの地、その先祖である
「米餅搗大使主命(たがねつきのおほみのみこ)は
日本で最初に餅をついたお菓子の神様とし信仰を集めています。
そんな餅作り発祥の地にある「菓匠 将満」のこだわりは
日本三大もち米と言われる「滋賀羽二重糯米」を使用していること。
普通のもち米と比べて粘りと甘みが強く、白く美しい餅になり、
みたらし団子も大福も、ぷにぷに&もちもち&しっとりで超美味しいの。
「滋賀羽二重糯米」を生産しているのは滋賀県の南東、
忍者の里として知られる甲賀市「小佐冶」と呼ばれる地域。
最高級のもち米ができる秘密は、小佐治地方独特の土壌にあります。
キーワードは、古琵琶湖。
300万年前、この知育は琵琶湖があった場所で、琵琶湖の底にあたり、
ミネラル分を豊富に含む重粘土質の土が堆積しました。
地元で「ズリン」と呼ばれるこの独特の土壌がもち米の生育に最適で、
粘りと伸びがあり、きめ細かく甘みのある「滋賀羽二重糯米」が生まれたのです。
「滋賀羽二重糯米」は昭和14年に滋賀県で開発された品種。
最高級のもち米を生み出す地域独特の土壌「ズリン」ですが、
重粘土質の田んぼは土の粘りが強く水はけも悪いので機械が使いにくく、
泥田で長靴がなかなか抜けないし、農作業は大変な苦労を伴います。
しかも背丈は高いので台風などで倒れやすいし、穂もこぼれやすい、
収穫量も他品種に比べて少ないなどなど、
苦労が多いわりに実入りが少ないと栽培を敬遠する農家も多く、
収穫量も減少傾向で「幻のもち」と呼ばれています。
しかし「滋賀羽二重糯米」は「小佐治のもち」。
伝統ある名物を守ろうと地域活性化の中心に据えて
集落に農業法人「甲賀もち工房」を設立、もち米の生産管理から
製品作り、販売まで担っているそうです。
極上の絹織物「羽二重」に例えられる「滋賀羽二重糯米」。
生まれたのが甲賀忍者の里「小佐治」だったとは実に興味深いお話ですね。
伊賀衆、甲賀衆と呼ばれた、いわゆる「忍び」の者たちは、
戦国時代、有力な大名がいない地域をその結束力で守ったとされます。
「忍び」のエネルギー源として活躍したのが「兵糧丸」。
忍者の携行食のことで補給が簡便でハイカロリーな栄養食品。
もち米や薬草、ゴマなどを混ぜて丸めた作ったとされています。
やはり、忍びのお仕事に、もち米は、必須アイテムだったのだ。
300万年前、琵琶湖の底だった小佐治地区で生まれた「滋賀羽二重糯米」。
ぷにぷに、もちもちのみたらし団子、大福にぞっこん、
そのルーツをたどると、甲賀忍者の里だった。
忍びのもち。さらに味わいが深くなるのだった。
(写真は)
甲賀忍者の里で生まれた
「滋賀羽二重糯米」を使った
「菓匠 将満」の羽二重大福
現代の「兵糧丸」?


