おかえり王様

80年の

時を超えて

長い旅から

帰ってきた

おかえり王様

うっそ・・・!

朝起きて窓のカーテンを開けて、あららびっくり。

窓の外は一面の銀世界、真っ白い雪景色が広がっていました。

なごり雪にしては、かなり本気の降りっぷり。

明日は春のお彼岸の中日なのにねー。

ま、こんな思わせぶりなお天気もまた北海道の春らしい。

我が家は混雑しそうな春分の日前日の昨日、お彼岸のお参りへ。

大きめの粒あんのおはぎ、かりんとう、ビタミンカステラ、

蓮柄のおまんじゅうに栗まんじゅう、そしてほろ苦カフェラテなど

父の好物だったおやつセットをお供えして、手を合わせ、

心の中であれこれ、亡き父と語り合いました。

少し遅めのお昼ごはんに円山の人気回転寿司店を訪れたところ、

お昼を過ぎなのに想像以上の物凄い混雑、30組待ち、待ち時間は1時間以上、

あ、そーだった、今日は公立高校の合格発表があったんだ、

確かに店内は合格祝いらしき家族連れが目立っています。

おめでとうございます!良かったね!ごゆっくりお楽しみください。

元受験生の母は、予定変更、馴染みのお蕎麦屋さんへと向かうのでした。

春は出会いと別れの季節ですが、

うりずんの沖縄に80年ぶりに王様が長い旅から帰ってきました。

沖縄戦の際に国外に持ち出され、行方がわからなくなっていた

歴代琉球国王の肖像画「御後絵(おごえ)」がアメリカで見つかり、

県に返還されたことがこのほど明らかになりました。

朝刊に返還された第15代尚敬王の「御後絵」の写真が掲載されていました。

中央にひときわ大きく赤い豪華な衣装をまとった王が描かれた御後絵は

色彩豊かで緻密な筆致が当時の芸術文化の高さを物語ります。

琉球王国を代表する貴重な文化遺産は美術史・文化史を研究する上で

重要な手がかりになるということです。

というのも、「御後絵」の実物は県内に一点も残っていませんでした。

国王が亡くなった後に専門の絵師によって描かれ、国王の菩提寺である円覚寺に

納められ、琉球王国崩壊後、王の跡継ぎの屋敷である中城御殿に移されましたが、

沖縄戦の米軍の砲撃で首里城も円覚寺も中城御殿も全て焼失。

金庫に納め中城御殿の防空壕に避難させていた貴重な文化財は、

戦後調べたところ、すべて空っぽ。持ち去られていました。

沖縄の国宝級の文化遺産は琉球王国崩壊、沖縄戦という二重の悲劇によって

失われ、散逸してしまったのです。

沖縄サミットを契機に県とアメリカ間で流出文化財返還の機運が高まり、

県は担当者をアメリカに派遣、返還プロジェクトが具体化、

中城御殿から持ち出された「御後絵」などをFBIの盗難美術品ファイルに登録、

今回の「御後絵」をはじめ金工品、磁器、陶器など計22点に返還に

つながった経緯を沖縄の地元紙が詳しく伝えていました。

今回返還された「御後絵」6点のうち2点は戦前撮影された写真と照合した結果、

第二尚氏の第13代尚敬王と第18代尚育王の肖像画と確認されました。

FBIによると、返還された「御後絵」などの文化財は、

退役軍人だった父親の遺品を家族が整理中に

屋根裏部屋に隠されていたのを発見したらしい。

誰が、なぜ、どんな目的で持ち去り、屋根裏部屋で眠ることになったのか。

今となっては想像するしかありませんが、沖縄の熱意がアメリカを動かし、

FBの盗難美需品リストに載らなければ、貴重な沖縄の文化遺産が、

今もなお歴史の闇の中に閉じ込められたままだったかもしれません。

FBIはこれらの文化財は沖縄戦で略奪された可能性がある美術品だと判断、

捜査を進めていたそうです。

80年ぶりに沖縄に長い旅から帰ってきた「御後絵」。

実物には琉球王国の歴史、文化、芸術に関する貴重な情報が詰まっています。

「散逸した文化財を取り戻すことは

自分たちの手に歴史を取り戻すことでもある」。

地元紙の社説はこんな一文で締めくくられいました。

80年ぶりの帰郷。おかえり王様。

(写真は)

琉球王国時代の古陶に

インスパイアされた

現代のやちむん

カヌレやクッキーもお似合い