復活の1マイル
芋畑の
真ん中に
できた道
歴史を重ねた
復活の1マイル
今日から2月、如月です。
寒さ厳しい時季、衣を更に重ねるから「衣更着」とも
陽気が上がる季節になるから「気更来」、
さらに春めいてくるから「来更来」など諸説あるようですが、
一気に気温が下がる道内は「衣更着」のきさらぎ朔日となりそうです。
冬の沖縄旅4日目リポートは、国際通り編です。
翌日には札幌へ帰る沖縄滞在最終日は、宜野座村で自慢のぎのざジャム、
沖縄市(旧コザ)の「TESIO」で絶品シャルキュトリーを、
宜野湾市の「宗像堂」でカリスマ天然酵母パンを仕入れました。
さらに戦後沖縄の食文化を支えてきた「Jimmy’s」一号店にも立ち寄り、
クリスマスイブで賑わう買い物風景を眺めながら沖縄が歩んできた
三つの時代「唐ぬ世 大和ぬ世 アメリカ世」を歌った島唄を思い、
アメリカのパイと沖縄の戦後のつながりを考えました。
さあ、日も暮れて、沖縄滞在時間も残り少なくなってきました。
宜野湾市から那覇へ戻り、レンタカーを定宿ホテルに停めて街中へ。
やはり、あおの賑やかな通りへご挨拶へいかなくては。
沖縄観光の目玉スポット「国際通り」です。
那覇の中心部を貫くヤシの木が並ぶ1,6kmの通りには
お土産屋、ステーキ店、カフェ、民謡酒場、アイスクリーム店など
およそ470もの店舗がひしめき、たくさんの観光客で賑う沖縄観光の中心地。
大きなシーサーが出迎えてくれる国際通りの入口に立つと、
ああ、沖縄へ来たー!とテンションが上がります。
その国際通りも沖縄の歴史を物語る場所。
戦前までは農地と芋畑が広がる湿地帯でしたが、1919年に沖縄県庁が、
1925年に警察者が那覇の泉崎に移転したことから、那覇の中心地となり、
泉崎と首里を結ぶ道が必要になり、1934年に県庁前から牧志の中央部を貫き、
安里に至る「新県道」が建設され、この道が国際通りの前身となりました。
しかし1945年の沖縄戦で本島は灰燼と化し、国際通りの賑わいも消えました。
何もかも失ってしまった沖縄の人々を励ますために劇場を作ろうと、
1948年、米軍の物資集積場になっていた土地に映画館が開業します。
沖縄戦で戦死した従軍記者の名前を冠した「アーニー・パイル国際劇場」です。
劇場のオープンをきっかけに通りは徐々に賑わいを取り戻し、
1950年、映画館の名前にあやかり「国際通り」と命名されました。
焦土となった沖縄でいち早く復興、発展を遂げたこの通りは、
その距離に由来して「奇跡の1マイル」と呼ばれます。
沖縄を訪れるたびに必ず訪れる国際通りですが、
激動の時代を生き抜いた華やかな通りもコロナによって大きく変貌。
国際通りの県庁側の入り口にある建物には「おきなわや」という
お土産屋さんの大きな赤い文字のロゴが名物になっていましたが、
コロナ禍に訪れた時には、その看板が消え、
民間の「PCR検査センター」に変わっていました。
そのコロナが5類移行になって初めての沖縄旅。
はたして旧おきなわやの場所は、どうなっているのか。
人の流れも戻り、笑顔がいっぱいの国際通りの入口のビルが見えた。
あ・・・日常が、戻っている。
2階はオレンジ色の「A&W」のロゴ、県民ご用達の「エンダー」、
沖縄ご当地ハンバーガーショップが入っていて、
1階は「Shisa Cookie」シーサークッキーなる可愛いお菓子屋さん、
PCRの文字が影も形もありません。
一時は人の通りが全く途絶えた国際通りに
あの華やかでわくわくする賑わいが戻っていました。
芋畑から那覇の中心地に、そして沖縄戦を経て奇跡の復興を遂げた1.6km。
奇跡の1マイルは令和のパンデミックを乗りこえ復活の1マイルとなっていた。
国際通りは笑顔が似合う。
(写真は)
国際通り県庁側の入り口
旧「おきなわや」の看板から
PCR検査センターへ
そして今はA&Wと
シーサークッキー♪


