鳳至の市
元日の夕刻
正月祝いの家々を
突然襲った地の揺れ
歴史が火に包まれる
鳳至の市
新しい年を祝う元日の夕刻。
突然、テレビ画面からけたたましい警報が鳴り響いた。
「緊急地震警報、緊急地震警報、強い揺れが来ます!」
えっ?石川?大きい?
次の瞬間、さらにアナウンサーが緊迫した声で絶叫した。
「大津波警報です!大津波警報です!ただちに逃げて下さい!」
昨日元日の午後4時10分、石川県で最大震度7を観測した能登半島地震が発生。
一夜明け、徐々に被害の状況が明らかになってきました。
早朝のニュースでは石川県内での死者4人と伝えていましたが、
午前10時の段階で13人の死亡が確認され、なおも建物損壊によって
多くの閉じ込めが報告されているそうです。
津波によって港では船が岸壁に乗り上げたり、転覆。
道路はひび割れ、のり面が崩れ、木造家屋はことごとく倒れ、
頑丈な転勤コンクリートの建物が斜めに倒れ掛かった映像に
膝が震え、息が止まり、頭が真っ白になりました。
さらに輪島市内では火災が発生、200棟を超える家屋や店舗が燃え、
今も鎮火されていないようです。夜の闇を赤々と照らす炎の映像は
阪神淡路大震災や東日本大震災の火災と重なり、
あの真っ赤な炎のなかに人の営みがあったと思うと言葉を失います。
この火災で1000年続く輪島の観光名所「輪島朝市」が
一面焼け野原になってしまいました。
日本三大朝市の一つである輪島朝市、年末には寒ブリや鯛やカニなど
新鮮な海の幸を求める買い物客で賑わっていたでしょうに・・・。
火災から20時間以上経った今日午前11時現在でも
延焼の怖れはなくなったものの消火活動が続けられていて、
灰燼と化した火災現場のあちらこちらから白い煙が立ちのぼり、
木造家屋は跡形もなく、燃え残った4階建てのビルも骨組みだけを残して
内部は全て焼き尽くされ、がらんどう、
向こうが見通せる無残な姿となっていました。
目の前に広がる日本海の海産物を中心に200以上のお店が並ぶ輪島朝市。
その歴史は古く、奈良時代後期から平安時代のはじめ頃、
輪島を含む能登地方にあった鳳至(ふげし)郡の鳳至比古神社の祭礼日に
生産物を後酔って物々交換し合ったことが市の始まりとされています。
商品流通の発達とともに市は繁盛、江戸時代には北前船によってさらに発展。
戦争を乗りこえ、昭和33年には輪島朝市組合が設立されます。
能登がロケ地となった映画「ゼロの焦点」の大ヒットなどで能登ブームが到来、
朝市にも大勢の観光客が訪れ、地域経済の牽引役となっていくのです。
「輪島朝市がくしゃみをすると和倉温泉が風邪を引く」と言われるほど
観光資源、地域振興の目玉となった朝市。その主役は女性たち。
売る人も買う人も女性が中心、輪島女の生活力が繁盛の原動力とされ、
元気で明るい掛け声や笑顔があふれていました。
昭和45年(1970年)から朝市の道路使用許可がおり車両通行が規制され、
朝市は交通渋滞から解放、歩行者天国でゆっくりと買い物ができるようになり、
わいわいがやがや賑やかな情報交換の社交の場ともなって、
人々からは「市の風にあたりにいく」と親しまれていたそうです。
日本海からの爽やかな風が吹きぬける1000年の歴史を誇る輪島朝市が、燃えた。
元気に働いていた輪島の女性たちは大事な商品、商いの場を失い、
輪島の人々は賑わいにあたりにいく大切な場所を失った。
いつかは訪れてみたいと思っていた旅先の市場だったのに、
在りし日の輪島朝市を目にすることはもうできなくなった。
大地の揺れが、人の営みを根底から覆す。
この国は何度も何度も何度も何度も何度も
大きな震災を歯を食いしばって乗り越えてきた。
いつかきっと灰燼の焼け跡から
鳳至の市、輪島朝市は立ち上がってくれるだろう。
ただ、今は、これ以上の被害が広がりませんように。
助けを求めているすべての人々が救出されますように。
ライフラインが一日も早く復旧しますように。
長く続くだろう避難生活で体調を崩しませんように。
余震が早く収まりますように。
ただただ、雪の札幌から祈ります。
(写真は)
冬の首里城からの眺め
幾度もの業火に焼かれた首里城
今、懸命に復興しています


