冬のKOZA
音楽と
エイサーと
アメリカ文化と
新しい息吹と
冬のKOZA
白い花びらのような大きな雪が降り積もる朝。
ドカ雪になったり、プラスで気温が上がったり、また雪が降ったり。
北海道の冬に雪が降るのは当たり前ですが、天候の振れ幅が大きい。
やはり地球温暖化が関係しているのだろうかと思う土曜日の朝です。
最高気温20度台が当たり前と思って訪れた冬の沖縄旅も
今季最大の寒波到来でなかなかの寒さでした。
ぽつぽつと雨が降る旅の4日目は自然豊かな宜野座村の道の駅を訪れ、
名産の南国フルーツの「ぎのざジャム」をゲットして次の目的地へ。
訪れたのは沖縄本島の真ん中に位置する沖縄市。
人口14万人を超える那覇市に次いで人口が多い街。
前身は琉球王国時代に越来間切と美里間切で、改称や合併を経て、
1974年にコザ市と美里村が合併し、現在の沖縄市となりましたが、
今でも「コザ」と呼ぶ人が多いマチです。
「コザ」とは沖縄市の中心市街地であるコザ十字路から胡屋地区、
中の町地区まで広がる文化圏の愛称で、
米軍が越来(ごえく)村の胡屋地区を「KOZA」と呼んだことをきっかけに、
一般の人々も「コザ」と呼ぶようになったと言われています。
かつてのどかな農村だったコザは沖縄戦、終戦後の混乱、米軍基地建設、
そして本土復帰と激動の時代を生きてきた「戦後沖縄の縮図」と言われます。
米軍人や軍属による様々な事故や事件が起きた一方で、基地の町として
「コザ文化」や「チャンプルー文化」と呼ばれる独自の食文化や音楽、
ファッションを創出してきました。
60年代から80年代にかけて米軍基地の門前町として興隆した中心市街地は
県内随一の繁華街として賑わい、多くの芸能が生まれ、
コザの民謡やオキナワンロックは音楽シーンの大きな影響を与え、
全国的に一世を風靡するエンターテインメントシティーとなります。
また沖縄の伝統芸能である「エイサー」のまちとしても知られ、
毎年、旧盆の翌週末には沖縄最大のイベント「沖縄全島エイサーまつり」が
コザで開催され、沖縄県内各地域のエイサーが披露されます。
米軍基地、音楽、エイサー・・・、コザは一言では語れない、
摩擦と共生の歴史を生き抜く多面体のような街なのです。
コザを象徴するエリアが「コザゲート通り」。
嘉手納基地の第2ゲートから市街地へ数百m続くストリートで
外国人相手のバー、ライブハウス、タトゥーショップなどが立ち並び、
英語の看板や表記が連なる街並みはディープな雰囲気を醸し出しています。
中にはすっかり色褪せた英語の看板が冬の風に吹かれていたりと
ベトナム戦争当時から時の流れを感じさせる場所もありますが、
きらびやかな夜に比べて昼間は寂れたイメージもあったコザゲート通りは
今、多様な歴史を背景に新しい世代が個性的でハイセンスなお店を展開、
ここでしか出会えない素敵なシン・コザ文化が生まれているのでした。
さあ、コザゲート通りに着いた。
冬のKOZAで、おいしいアレに出会う♪
(写真は)
昼間のコザ
色褪せた英語の看板が残る
本土復帰の2年前、1970年12月20日の「コザ騒動」を想起する
沖縄の自治権拡大、復帰運動へとつながった歴史を思う


