もやもやのこころ

言葉と

言葉の

あいだには

隙間がある

もやもやのこころ

そうだ。

言葉にできない「もやもや」に真実が宿るんだ。

気づかせてくれたのは、AIが詠んだ俳句だった。

朝刊文化欄の特集記事が深い示唆を与えてくれました。

「歌詠むAI 創作・観賞の本質は」との見出しで始まる記事。

歌人・科学者の永田和宏さんが短歌を生成するAIを用いて

参加者も交え、連歌を詠むイベントが行われ、創作という営みの本質を

AIとの「遊び」を通じて考えた経過が報告されていました。

永田さんの発句「魚河岸のにおいもなくて秋の風」に続く句を

参加者やAIが連ねていく12句の連歌形式で行われたのですが、

参加者の第2句「手にはぶらりと三越の秋刀魚」に続いて

AIが詠んだ第3句は「炙り出す焼ける香りと遠き日々」。

あらら、ちょっとちょっと、なかなかやるではありませんか、AI.

秋刀魚の焼ける香りと遠き日々の思い出を重ねた・・・のよね?

連歌は続き、締めくくりは発句との響き合いも感じさせる参加者の句を

AIが選び出して、永田さんが小さな添削を加えたもの。

「千年の鼠眠る足元」

人間とAIの競演で哲学的にフィナーレを迎えた連歌イベント、

なかなか興味深く、AIとのつきあいを通して、創作の本質

言葉と心について考えるヒントがたくさんあるように思いました。

永田さんは、創作とは「無限なアナログの世界を、

言葉という有限なデジタルの世界に置き換えること」だと言います。

ただ、歌を詠むとき大切なことは「一番言いたいことは(直接的な言葉)で

言わない」ということなんだとか。

う~む、プレゼンテーションやスピーチなどの場合は

一番言いたいことを的確に言語化することが大切だとされますが、

歌を詠む際には、あえてダイレクトに言わないことが肝要なのねぇ。

興味深い、実に興味深いポイントであります。

歌を鑑賞するということは、その表現されなかった「寂しい」とか

「感激した」といった感情を読み取り、デジタルな言葉から

アナログの情報を再編集する行為なんだそうです。

つまり、言葉と言葉のあいまにはもやもやした隙間があるということ。

AIは言葉を置き換えるようなデジタルからデジタルへの変換は得意、

でも、人が歌を詠む=創作するきっかけとなる、言葉にできない、

言葉にしない、もやもやしたアナログの情報はデジタル化できない。

また、歌を詠む過程を人のようにAIが一から全て取って代わることは

今のところないと永田さんは考えています。

そうだよねー。人の心はもやもやだらけ。

悲しい、哀しい、淋しい、寂しい、

同じ言葉でも漢字も違えばニュアンスも違う。

悲しさの裏に別の感情が隠れていたりする。

もやもやのこころを、

誰かにわかってほしくて、または持て余して、

そんな時に、人は、歌を詠む。表現する。創作する。

言葉と言葉のあいだの「もやもや」をAIが理解する日は来るのだろうか。

今回の連歌でAIが作った句は「言い過ぎ」「観念的」

「体言止めが続いてぶつ切り」などの評価がありましたが、

一方で人間ならしない「飛躍」が生じた句もあって、

凄い速さで進化しているAI、今後は面白い展開も予想されます。

もやもやのこころがわかるAI。

もやもやのこころから歌を詠めるAI。

ちょっと面白いような気もするけど、

ちょっともやもや?

人間は、もやもやする生き物なのだ。

だから、ややこしい。

そして、いとおしい。

(写真は)

初冬の日曜日

ビルの狭間の景色

AIならどう詠む?