二八の月

深まる秋

漆黒の夜空を

ぽっかり照らす

美しい光

二八の月よ

今日は10月31日。

神無月の晦日の日。

そしてハロウィン。

秋の深まりを感じる頃。

そんな昨夜、夫が「凄いよ凄いよ、ちょっと来て!」と手招きするので、

何事かとリビングから東向きの息子の部屋に向かうと、

うわぁ・・・キレイ・・・!まんまるに輝くお月さまがぽっかり。

お風呂上りに涼もうと窓を開けて発見したらしい。

深まる秋の夜、漆黒の夜空を明るく照らす美しい月。

「満月?」と夫が聞くが、「いや・・・う~ん・・・

完璧なまんまるではないような・・・ちょっと待って」と

カレンダーを確認すると、果たして、満月は昨日30日だった。

「やっぱり、満月は昨夜、だから満月の次の夜の月」と答えると

「それって、何て言うの?」と夫がさらに聞く。

ちょっとめんどくさくなって(笑)「だから、満月の次の月」と

テキトーに答えてしまったが、すまん、夫、

昨夜の月にはちゃんと雅な名前がついているのだよ。

それは「十六夜(いざよい)」。

新月から数えて十六日目の月をこう呼びます。

月は新月から満月までおよそ15日周期で満ち欠けするため、

一か月の中でもっとも月が満ちる日を十五夜、十六夜はその翌日となります。

「いざよい」とは、ためらう、進めないという意味の

「猶予う(いざよう)」が名詞化したもので、十六夜は十五夜よりも

月の出が遅くなり、ためらっているように見えることから

「十六夜=いざよい」と呼ばれるようになったといわれています。

十六夜の月は満月(望月)を過ぎたので「既望」とも呼ばれ、

「不知夜月」の漢字をあてて「いざよいつき」とも読まれます。

また江戸では十六夜の月は「二八の月(にはちのつき」と

呼ばれることもあったようです。

二八の月・・・まさか・・・駄洒落・・・?

そのまさか、二×八=十六(にはちじゅうろく)から来たダジェレが由来。

駄洒落脳が発達した夫に、ちゃんとここまで説明してあげれば良かった(笑)

満月の次の月は十六夜、二八の月だって教えてあげたらウケただろうに(笑)

その江戸時代の俳人松尾芭蕉は十六夜について駄洒落、ではなく、

こんな風情ある一句を残しています。

「十六夜は わづかに闇の 初哉(はじめかな)」

う~ん、芭蕉センセイ、さすがの余韻が残る名句であります。

昨夜は満月、今宵は十六夜。わずかながら闇に向かって月が欠け始める。

その最初の日が今夜なのだなぁ・・・。

明るく輝く満月の次の月は、完璧なまんまるよりもほんのわずか欠けていて、

確かにほんのわずか満月の夜よりも輝きが減り始めていく予感がある。

十六夜の月は漆黒の秋の夜空を美しく照らしてはいるけれど、

100%の満月ほどの明るさとはちょっとだけ違う憂いがあるのだ。

なんだか幸せの絶頂でそこはかとない不安を感じるような、

そんな人間の複雑な心理にも似通っているような、

「わづかに闇の 初哉」なのだ。

秋の月は、人を詩人にする。

二八の月にわづかな闇の初めを見る。

そして闇から光へと月のリズムはちゃんと続いていくのだ。

月に励まされて、人は生きてきたんだね。

(写真は)

神無月の十六夜の月

ビルのシルエットと

99%の月の光が

都会の夜を彩る