街の音2023
5年前の
あの秋
プツンと
消えた
街の音
今日9月6日、胆振東部地震から5年となりました。
最大震度7を観測、大規模な土砂崩れなどで38人が犠牲となり、
液状化現象で多くの家が被害を受け、そして未曽有の事態、
北海道全域が停電する「ブラックアウト」が起きました。
5年前の記憶は脳裏に深く刻まれています。
午前3時7分、大きな揺れで目が覚める。ベッドの上で固まる。
周りに落ちて来たり、倒れて来るキケンな物はないけれど、
ミシッ・・・ミシッ・・・!頑丈なはずのマンションの建物が
不気味な音を立てる。「これは・・・大きい!」。
すでに早朝ラジオ番組のために起きていた夫が寝室に飛び込んでくる。
「大丈夫?」「うん、でも、これ相当大きいよね!?」
揺れが収まってからリビングへ。テレビが地震速報に切り替わっていた。
最大震度7・・・?緊急番組に息を詰めて見つめていた。
でも、その時はまだ想像もしていなかった。
明かりも音も全くなくなる事態が来ようとは。
夫が放送局に出かた後。揺れから何分後だったろう、
地震速報を伝えるテレビがプツン・・・。
突然に、唐突に、小さな嫌な音を立てて消えた。
日本ではじめて起こった全域停電「ブラックアウト」だった。
早朝のリビングにたった一人、取り残された。
何が起きた?地震で停電・・・だよね?
いやいや、大丈夫、きっとまもなく復旧する・・・よね。
淡い期待を打ち砕く深刻な状況が北海道の送電網に怒っていたのだ。
我が家の停電が復旧したのは翌日7日の朝5過ぎ。
今から思えばまる一日だったが、あの時の長い不安は永遠に感じられた。
マンションだから電力がないと給水モーターが動かず、水も出ない。
明かりもない、テレビも沈黙、日中なのに車の音もしない。
電気がないと、街の音が消えるのだ。無音の街、怖かった。
今朝、5年前の記憶を思い出しながら、テレビを切ってみた。
テンポよい朝の情報番組のお喋りが、プツン、と消えた。
しん、と静まり返るリビング・・・
だが、いつも通りの車の走行音が遠くから聞こえてくる。
ご近所の建築工事現場からトントン、トトンと軽やかな音がする。
過ごしやすくなった朝を歓迎するように野鳥がゴキゲンで鳴いている。
ちゃんと、街は、動いている。
当たり前の日常の音が、たまらなく愛おしかった。
朝のラジオでは5年前の地震で得た教訓についてリスナーさんから
さまざまな体験が寄せられていました。
車のガソリンは半分になったらすぐ入れる。
モバイルバッテリーや乾電池、暖房機、カセットコンロなどを備える。
電子決済も不能になるので災害用の現金を常備しておく。
寝室にスリッパやヘルメットを置く。家具を固定するなどなど。
ひとつひとつを参考にしながら、しみじみ思った。
あのブラックアウトの日、たった一人のリビングで最も欲していたのは、
これだった、この、人の声だった。
人は人の声で救われる。
水が出なくなったあの日、
地下鉄が動かなくて歩いて出勤してきた管理人さんは
「お水、管理人室は出ますよ、使って下さい」と声をかけてくれた。
駐車場の給水栓がマンション住民の臨時給水所となって、
ふだんはなかなか顔を合わせる機会がない住民たちが
お互い声を掛け合っていた。
「携帯の充電、どこでできるんですか?」「市役所らしいですよ」
「僕のスマホ、まだ充電大丈夫だから、何かわかったら教えますね」
水を汲みながら、お互いがお互いを労り、不安をわかち、語らっていた。
それは現代の井戸端会議「井戸端力」だと5年前のブログに書いたのだった。
5年前、地震当日も翌日も新聞が届けられていた。
ラジオからはいつものお馴染みの声が情報を伝えてくれた。
SNSには不安をかきたてる真偽のわからない情報もあったけれど、
マスメディアの確実な情報は、災害時の灯台の灯りだった。
街の音2023。いつも通りの暮らしの音を聞きながら
プツンと消えたあの日を忘れない。
備えは十分か。
寒い冬を前に気を引き締める9月6日だった。
☆☆☆本日9月6日(水)HBC「今日ドキッ」に
コメンテーターとして出演させていただきます。
胆振東部地震から5年、あの日からの教訓を胸に、行ってきます。
(写真は)
5年前の9月6日
ブラックアウトの早朝
東の空に月が残っていたっけ
今朝は曇り空


