ミズとミソ
暗い洞窟
飢えと渇き
死の恐怖
ミズとミソが
語ること
8月15日。
終戦78年となる今日、全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれますが、
台風7号の影響で昨日の時点で遺族ら約600人が出席を取りやめ、
新型コロナ感染防止もあり2000人前後の縮小開催となる見込みとか。
台風の雨や風から身を守りながら非戦を誓い平和を願う終戦の日。
朝刊各紙も戦後78年、様々な角度や視点から戦争を考える記事を掲載。
なかでも印象的だったのが天声人語が取り上げたあるお話でした。
40年前、著者が小学5年の頃、担任の先生が一度だけしてくれた戦争の話。
先生が9歳の時、生まれ育ったサイパンに米軍が上陸してきました。
家族とジャングルの洞窟に逃げ込んだ。飢えと渇きで眠れない。
12日目、暗い洞窟の外から呼びかける声が聞こえた。
「ミソアリマス、デテコイ」。
銃を構えた水兵たちが入口にいた。
喉が渇いているのに「味噌」なんて、とだれも動かない。
ついに母が「死ぬ時はみな一緒」と投降を促し、洞窟を出る。
朝から水を探しに出ていった父はたぶん米軍に撃たれ、戻らなかった。
「ミソアリマス」は、「水あります」が片言でなまったのだった。
水を求めて洞窟を出て戻らなかった父。
「ミソアリマス」に「死ぬ時はみな一緒」と投降を決めた母。
9歳だった先生が体験した「戦争」。
たった一度だけ教え子の子どもたちに伝えたその思い。
しかし、子どもは時に残酷。
「ミソアリマス」はしばらくクラスの男子のはやり言葉になったが、
おかげで40年あってもあの言葉は忘れない、と天声人語氏は綴る。
玉砕の島サイパンでは民間人を含む5万人超が命を落としました。
また北海道新聞は戦争体験者を長年取材してきた保坂正康さんと
世代や分野が異なる3人が対談する連載企画を掲載、対談を振り返り、
保坂さんは新たな継承へ光が見えたと語っていました。
「一般的に注目度の高くない部分から一点突破で入っていき、そこから
自分が抱いた疑問を一つずつ解決していく。新しい歴史継承の方法を
つくるのではないかと希望を持ちました」。
2年後には戦後80年。
戦争に兵士として行った人はほとんどいなくなり、
80年は「同時代」から「歴史」に移っていくと保坂さんは指摘、
「『こんな戦争をやっちゃいけない』」という死者の言葉をつなぎ、
発展させ、知識や教養化していくことが重要です」と言います。
「ズッコケ三人組」の筆者で広島で被爆した茄子正幹さんは
戦争を「民話」として残そうと提唱しています。
「誰かに聞いた短い話でも自分の口で語ること」が大切だと。
だから天声人語氏は40年前先生から預かった話を綴ってくれたのだ。
誰かに聞いた話を、自分で考え、誰かに語ること。
戦後78年、あの戦争が「歴史」になる道程に、私はいる。
暗い洞窟、飢えと渇き、光の向こうから聞こえた言葉。
「ミソアリマス デテコイ」。
ミズとミソが語ること。
体験していない戦争と向き合う
2023年8月15日の朝。
(写真は)
戦後78年
8月15日の朝の空
晩夏と秋が重なっていた


