ようかんもある?

ほんとうに

お浄土はあるの?

そこには

ようかんもある?

78年前の夏

今日は広島原爆の日。

1945年8月6日の朝8時15分に原子爆弾が投下されました。

あの日から78年経った今日、平和記念公園では平和記念式典が開かれ、

原爆投下時刻の8時15分、中継のテレビ画面に向かって黙祷をしました。

新聞各紙も被爆78年を伝える特集記事が掲載されていますが、

なかでも、とても心が揺さぶられた連載企画がありました。

「絶たれた明日~被爆78年」と題された記事が取り上げたのは

8月6日の朝、「建物疎開」で動員された子供たち8千人のこと。

当時、すでに多くの学生らが兵器工場などに動員されていたため、

年齢の低い中学1,2年生が建物疎開の動員対象となり、

危険を案ずる学校関係者は反対するも軍関係者の「防災計画上の急務」との主張で

動員が決定、あの日の朝、8千人の子供たちが広島市街へ向かい、

8時15分原爆投下、うち約6千人が亡くなったとされます。

6千人の13歳、14歳が「お国のために」動員され、明日を断たれた記録。

13歳の女子中学生は振り仰いだ空に見つけた三つの落下傘を「キレイ」と

思った次の瞬間、ぴかりと光り、寺の門の下敷きに。何とかはい出して、

「目玉の飛び出ていない」友だち3人と逃げ始めるも、手をつないだ友は

「わたし、死ぬる」と倒れ、彼女も7日後「さようなら」と言って亡くなります。

キレイと思った落下傘は米軍が原爆の威力を測定するために投下したものでした。

同じく13歳の広島第一中学1年の生徒も広島中心部の建物疎開に出かけ被爆。

2時間後、家に戻った彼の姿は全身の皮膚はむけて「赤い裸体」。親の直感が

なかったら「我が子であることを否定しただろうと」と父が書き残しています。

自宅に寝かせていると、夜の11時頃、母に突然こう聞きました。

「ほんとうにお浄土はあるの?」

「・・・ええ、ありますとも。それはね戦争も何もない静かなところですよ」

「そこにはようかんもあるの?」

「ようかんでもなんでも・・・」

「ほう、そんなら僕は死のう」

日が替わる頃、彼が13歳の命を閉じました。

天国はあるの?そこにはようかんもあるの?

ありますとも、ようかんでもなんでも・・・

そんなら、僕は死のう。

胸が引き裂かれるような母と息子の最後の会話に言葉を失う。

13歳。戦争中でも、彼らには夢や希望があった。

学びたいこと、挑戦したいこと、見たいこと、聞きたいこと、

そして、おなかいっぱい食べたいものが、いっぱいあった。

お浄土にようかんあるなら、そんなら僕は死のう。

彼らの動員を決定したのは、エラい大人たち。

先日のNHKドラマが戦時中の翼賛体制でも選挙妨害に対して、

時局に阿ることなく「無効」判決を出した大審院判事の実話を描いていましたが、

判決後、辞表を出した彼が最後に法務大臣に一つの質問をする場面がありました。

戦局は日本に極めて不利、この先に手立てはあるのかと問うた彼に

法務大臣はこう答えるのでした。

「軍部が大丈夫と言ってるから、大丈夫」。

大臣もエラい大人の一人。

自分の頭で考えられなくなっていく怖さ、立ち止まれない怖さ。

そして、あの日8千人の子供が街を守るために出かけ、被爆した。

13歳なんて、お浄土や天国からずっとずっと遠くにいる年なのに。

失われたあまりに多くの尊い命を思う。

核廃絶は「いつかできたらいいな」、じゃない。

今すぐ、人類が解決すべき大きな大きな命題なんだと

8月6日の午前8時15分、頭を垂れて、考える朝だった。

(写真は)

2023年8月6日の札幌の空

灰色の空から悲し気な雨が降る。

あの朝から78年

お空の上に

ようかんはある?