平和をつくる島

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平和をつくる島

今日6月23日は「沖縄慰霊の日」。

1945年6月23日、太平洋戦争末期の沖縄で

組織的戦闘が終結したとされる日です。

3か月に渡る熾烈な地上戦で日米合わせて20万人が命を落としました。

沖縄戦の悲劇は県民も戦闘や看護に動員され、

住民と軍が混在する中で「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい攻撃を受け

12万人もの県民の命が失われたということです。

県民の4人に1人が犠牲になった沖縄。

沖縄のおうちの大きな仏壇に置かれている大きなお位牌には

沖縄戦で亡くなった人の名前が刻まれていることがほとんどかもしれません。

激戦の最終地となった糸満市摩文仁の丘にある平和祈念公園の「平和の礎」には

国籍に関係なく24万人の犠牲者の名前が刻まれ、毎年追加刻銘があり、

今年も新たに365人の名前が刻まれました。

「沖縄は平和製造工場なのだ考えます」。

今朝の朝刊のオピニオン面で、沖縄に住んだ作家の池澤直樹氏が

とても印象的な指摘をされていました。

激烈な戦闘体験から平和への意志を持って伝え続けてきた人たちがいる沖縄は

放っておくと減ってしまう平和を、一生懸命作り続けている島だと。

沖縄は平和をつくる島。

何度も何度も沖縄を旅してきて、本当に実感します。

あの戦争は何だったのか、考えるための資料を集め、次世代に伝え、

78年経った今も、沖縄戦の犠牲者の遺骨を探し続ける人がいる。

今朝の天声人語が「ガマフヤー」と名乗る人を紹介していました。

旧日本軍が陣地に使った自然の壕「ガマ」を掘る人という意味。

那覇の具志堅隆松さんはボランティヤとして40年以上、

沖縄戦で亡くなった人の遺骨を探し続けているそうです。

ヘッドライトの灯りを頼りに真っ暗な口を開けるガマの中に入り、

ゴツゴツした石灰岩の隙間をはって進み、

ヘラで丁寧に地面をなでていくと「物言わぬ証言者」が見つかる。

78年間、誰にも知られず、湿ったガマの中で置き去りにされた「声」。

沖縄の糸数アブチラガマを訪れたことがあります。

旧日本軍の陣地、糧秣倉庫、住民の避難壕として使用された全長270mのガマで

戦場の南下に伴い「南風原陸軍病院」の分室とされ、ひめゆり学徒隊も配属。

一時600人もの患者が収容されていましたが、戦況の悪化で病院は撤収、

置き去りにされた重症者、負傷兵、住民の雑居状態となり、

3か月間で百数十人が亡くなったとされます。

現在は南城市によってしっかりと整備、管理され、

あらかじめ申請手続きをするとガイドさんの案内による見学ができます。

今でも、あの真っ暗なガマでの体験は心と脳裏に深く刻まれています。

比較的広いガマではありますが、閉ざされた地下の空間に

追い詰めれた兵士と負傷兵と怯えた住民が息を潜めていたかと思うと、

一瞬、呼吸ができなくなるような恐怖におそわれました。

「灯りを消してみましょう」。

ガイドさんの言葉でヘッドライトを消した瞬間、

漆黒よりも暗い、奈落の底に引きずりこまれそうな真っ暗闇に包まれた。

完璧な闇はブラックホールに放りこまれたようで天地もわからなくなる。

人間の根源を脅かすような真の闇に、沖縄の人々は、追いやられのだ。

「平和は消費財」と池澤さんは指摘します。

一つ一つの問題を何とかして解決していかないと、

放っておくと平和は減ってしまう。

沖縄はその平和を一生懸命作りだしている島なのだと。

戦争は嫌だ。

戦争は結局、人が死ぬということ。

街が壊れるということ。

でも、平和と唱えているだけでは、平和は減ってしまう。

6月23日。

沖縄慰霊の日。

平和をつくる島に

無性に行きたくなった。

(写真は)

琉球張り子の

ユーモラスなシーサーも

平和を祈り続ける