マリアさまはどこ?
祈りに
導かれて
石畳の坂道を
歩き続けた
マリアさまはどこ?
2022秋の福岡旅2022リポート~長崎編その⑥
晩秋の週末2泊3日で福岡旅を決行、初日は博多の歴史、文化、グルメを満喫、
2日目は「そうだ、長崎へ行こう!」と開業1か月の西九州新幹線に乗って
憧れの長崎日帰り弾丸ツアーに出かけました。
帰りの新幹線まで滞在時間は7時間、長崎名物の路面電車を乗って、
まずは鎖国時代の異国文化を今に伝える「出島」を駆け足で巡り、
次なる目的地、エキゾチックな魅力溢れる南山手・東山手エリアへ。
電停を降りて、夏のような日差しを浴びながら石畳の坂道を上ります。
目指すは「大浦天主堂」。
祈りの街長崎のシンボルでもある国内最古の現存する木造教会です。
2018年「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産」の構成資産の一つとして
世界遺産に登録されました。
16世紀から19世紀後半までキリスト教が禁じられ弾圧されていた長い間、
長崎や天草地方では神道や仏教や一般社会と共存しながら、
自らの信仰を棄てることなく守り生き続けた潜伏キリシタンたちがいました。
彼らの信仰の伝統の証となる大切な教会が大浦天主堂なのです。
幕末の開国にともなって造成された長崎居留地に在留外国人のために建設された
中世ヨーロッパを代表するゴシック建築の教会で、16世紀秀吉の命令によって
長崎の西坂で磔、処刑された「日本二十六聖人」に捧げられ、
正式名称は「日本二十六聖殉教者聖堂」。
教会は殉教地の西坂の丘に向けて建てられています。
大浦天主堂へと向かう急な坂道の両側はお土産屋さんやカフェが並び、
修学旅行の生徒さんや観光客が大勢訪れていて賑やかなのですが、
歴史を刻んだ石畳の坂道を見つめながら一歩一歩足を進め、
長い禁教から解かれ教会を目指した潜伏キリシタンたちの思いを想像すると
夏日の暑さもまわりの喧騒もす~っと消えて静かな気持になってきます。
・・・ふと見上げると・・・美しい白亜の教会が緑の丘に現れました。
正面には神様を表す「天主」の文字が掲げられています
青い空に向かって、天を目指して、気高くそびえる優美な姿。
大浦天主堂だ・・・。
なんだか、しばし、体が動かない。
信徒ではないけれど、なにかわからない大きくて温かな存在が
両手を広げて迎え入れてくれているような不思議な気持ちになります。
かつて長い弾圧を経て250年ぶりにこの教会にたどりついた人々がいました。
大浦天主堂は世界の宗教史上でも貴重な「信徒発見」の舞台なのでした。
1865年に大浦天主堂が完成すると
大勢の人々が「ふらんす寺」と呼び、美しい教会の見物に訪れました。
献堂式からひと月後の1865年3月17日、聖堂内でプチジャン主任神父が
祈っていると、15人ほどの人々が近づき、一人の女性がこう尋ねたのです。
「サンタ・マリアの御像はどこ?」
プチジャン神父はすぐにフランスから持参していた聖母像の前まで彼らを導くと
「あぁ、本当にマリアさまだ、御子イエスを抱いていらっしゃる」
「あなた方は誰ですか?」、「浦上の者、あなた様と同じ心を持っています」。
250年もの間、長崎浦上に潜伏し信仰を守り続けてきたキリシタンたちが
誰も何も恐れることなく、夢にまで見たマリア様に祈りを捧げた瞬間、
この歴史的出来事は「信徒発見」と呼ばれ、
全世界に驚きと感動を与えたのでした。
「マリアさまはどこ?」
石畳の坂道をひたすらに聖母の慈愛を求めて歩き続けた潜伏キリシタンたち。
大浦天主堂の正面から教会の中に足を踏み入れ、静謐な空間に包まれると、
その時の彼らの思いが時空を超えて伝わってくるような気がしました。
正面の美しいステンドグラスをどんな思いで見つめていたのだろうか。
彼らが祈りを捧げたマリア像は祭壇の右側の小祭壇にありました。
優しい慈愛に満ちた聖母に抱かれた御子イエスは両手を広げ、
祈るもの全てをおおらかに受け入れているかのようです。
マリアさまはどこ?
「信徒発見」の舞台となった教会は
250年もの間求め続けた聖母を発見した大切な場所。
マリアさまは、今も、長崎の祈りの丘にいる。
(写真は)
天に向かう尖塔
美しい白亜の教会
祈りの街長崎のシンボル
大浦天主堂



