甘くほろ苦く
かつて
海に浮かぶ
巨大なお菓子工房があった
知らなかった
甘くほろ苦い歴史
虎屋の羊羹、小城羊羹、五勝手屋羊羹、
日本全国各地に名物羊羹、ご当地羊羹は数あれど、
甘党の私もグレーテルも知らなかった絶品羊羹があった。
その名は「間宮の羊羹」。
先日放送されたNHK「グレーテルのかまど」のテーマです。
おとぎ話のグレーテルの末裔(瀬戸康史クン)が
お菓子にまつわる物語をひもときながら
とっておきのスイーツを作る番組が8月に取り上げたのは
戦争のさなかに作られた知る人ぞ知る特別な羊羹でした。
「間宮」とは食糧運搬の任務を遂行し特務艦「給糧艦間宮」のこと。
「腹が減っては戦ができぬ」という海軍の要望で
1923年(大正13年)に竣工、基準排水量1万5000トンと
当時は世界最大の給糧艦だったといいます。
艦内には1万8000人分の3週間分の食糧が保存できる冷凍冷蔵庫、倉庫があり、
様々な厨房が並び、専門の料理人、職人が軍属として腕を振るう、
いわば海に浮かぶ巨大な一大食品製造コンビナートのようなもので
将兵の元気、英気を養うためにアイスクリームや饅頭、大福、最中、
ドーナツなどの嗜好品も製造されていたのだそうです。
中でも、ダントツの人気だったのが「間宮の羊羹」でした。
艦内には大きな釜をしつらえた製餡所が設けられ、小豆を炊き生餡を作り、
寒天と砂糖を煮溶かして固める本格的な製法で作られていました。
1日で1万2000本作る製造能力があったとか。
しかも、昭和17年~18年に間宮の主計長を務めた海軍中佐によると
「と〇やの羊羹より大きく!」との命令が申し送りされていたそうで、
重さは2キロほど、ある証言によると「肩幅ほどの大きさ」だったとか。
大きく作って大勢の水兵さんのために切り分けられた「間宮の羊羹」、
どれほど愛されたのか想像に難くありません。
船体の中央に一本煙突が直立する「間宮」の姿が見えると、
海の上の艦隊は大騒ぎ、新鮮な食糧はもちろんのこと、
「間宮の羊羹を確保せよ!」とばかりに、間宮が停泊するや否や、
各艦から補給を担当する主計将校が交通艇で駆け付けたと言います。
長引く戦争、甘いものなど口にできないさなかにありつけた
大きな「間宮の羊羹」の甘さはいかばかりだったか。
海軍将校だった作家の阿川弘之は「『長門』が連合艦隊の象徴なら、
『間宮』は連合艦隊のアイドルだった」と著書に書いています。
しかしアイドル艦「間宮」は1944年(昭和19年)12月20日の夜、
アメリカ海軍の潜水艦「シーライオン」の魚雷攻撃を受け、
南シナ海の海南島沖で沈没、生存者はわずか6名でした。
艦内では沈没直前まで羊羹などを作り続けていたと言われています。
俺たちの「間宮」が沈んだ。
戦争末期、正月を間近にしてのアイドル艦の沈没は
連合艦隊の士気にも多大な影響を与えたと言われ、
戦局に与えた影響は大きかったとも伝えられているそうです。
羊羹と戦争。
間宮の羊羹を楽しみにしていた幾多の兵士の命が失われた一方で
市民はすでに甘いものなど全く口にできなかった戦争末期でも
海の上の給糧艦では絶品の羊羹が作られていたという歴史の事実。
初めて知った甘くほろ苦い羊羹のお話、複雑で切ない。
甘く、ほろ苦く、切ない8月。
(写真は)
到来物の羊羹各種
北海道のご当地羊羹が勢ぞろい
甘い羊羹を味わえることに感謝


